
ある日俺が楽しみにとってあったアイスクリームを
母が弟に食べさせてしまった。
学校から帰り冷蔵庫を開けアイスを探したが見つからなかった 。
母に問い詰めると弟が欲しがったのであげたと言った。
その時楽しみにしていた俺は凄く怒った。
母親に怒鳴り散らかし最後に『死ね!』と叫び夕食も食べずに部屋に籠った。
それから何時間か経った俺は寝てしまっていたようだが、
父親が部屋に飛び込んで来たので目が覚めた。
『母さんが轢かれた…!』
あの時の父親の顔と言葉を俺は一生忘れてないだろう。
俺たちが病院に着いたとき母親はどうしようもない状態だと言われた。
医者は最後に傍にいてあげて下さい。
と言い部屋を出た。
それから少しして母親は息をひきとった。
その後母親があの時間外にいた事を父から聞いた。
買い物に行くと言って出ていきその帰りに車に轢かれた事。
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事。
そして、現場のビニール袋の中にはアイスが一つだけ入っていた事。
その時俺のためにアイスを買いに行って事故にあったとわかった。
通夜と葬式の間中俺はずっと泣いた。
そして今でもこの時期になると自然に涙がでることがある。
母さんごめんな。
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと。
今でも悔やみ続けている。
妹が2歳半のとき微熱が続き病院に行ったときには白血病と診断…。
その日から母は毎日病院と家を往復する日々が続き、
大型連休で家族そろってレジャーに行く日なんてありません。
妹の面会が我が家の大型連休の消化日課でした。
「妹がいなければ遊びに行けたのに!」
当時は妹に憎しみさえ抱いたほどです。
でも両親が妹ばかり世話し愛情いっぱいあげてる姿に嫉妬したんでしょうね…。
その妹が亡くなって2年両親は脱け殻がとれたような静けさです。
私もですが。
99年の12月中旬妹が14歳のとき突然妹が、
『携帯電話が欲しい』
と言い出しました。
私がメールばかりしてたので欲しくなったんでしょうね。
もちろん大急ぎで買いに行きました。
そしてイヴの夜に携帯電話を渡し、
一緒にメールの送信方法も教えてやりました。
そして私が家に帰る頃には正午を過ぎてクリスマスを迎えた。
寒い夜になっていました。
寝ようとしたら妹からメールです。
『さっきはイヴだったけど今日はクリスマスだよ。
迷惑ばかりかけてごめんねお兄ちゃんありがとう』
これを見た途端母が息を切らして階段を上がり、
「病院にいくから支度しなさい!」
さっき別れたばかりなのにまた行くの?
なんで?
と思いました。
病院に行くとさっきまで元気だった妹が、
顔に白いクロスをかけられて亡くなっていました。
あとで看護師さんに聞いてわかったことなんですが、
携帯電話を強く握りしめて離すのに大変だったと…。
それを聞いて涙がいっぱいあふれました。
妹の携帯電話は解約しましたがいまでも遺影の横に、
そっと置いてあります。
妹は私にだけはきちんとお別れして逝きました 。
天国でも携帯電話が使えるといいなぁ…。