
私の母は昔から体が弱くてそれが理由かわからないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪いものだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、
毎日食堂に行きお弁当はゴミ箱へ捨てておいた。
ある朝母が嬉しそうに、
『今日は〇〇の大好きな海老を入れといたよ』
と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行きこっそり中身を確認した。
確かに海老が入っていたが殻剥きもむちゃくちゃだし、
彩りも悪いしとても食べれなかった。
家に帰ると母は私に、
『今日の弁当美味しかった?』
としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたしいつもの母の弁当に、鬱憤も溜まっていたので、
『うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから』
とキツく言ってしまった。
母は悲しそうに、
『気づかなくてごめんね…』
と言い、それから弁当を作らなくなった。
それから半年後母は死んだ…
私の知らない病気だった
母の遺品を整理していたら日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり。
〇月〇日
手の震えが止まらず
上手く卵が焼けない…
日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた。
お母さん本当にごめんね。
天国に行ったらもう一回お弁当作ってくれるかな。
俺は小さい頃家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては、
『ここでモンスターがでるんだよ』
『ここに止まったら三回休みー』
と喜んでいた。
ばあちゃんはニコニコしながら、
『ほうそうかいそいつはすごいね』
と相づちをうってくれる。
それが嬉しくて何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができそんなこともせず友達と遊びまくっていたころ、
家の事情も解消され自分の家に戻った。
ばあちゃんは別れる時もニコニコしていた。
『お父さん、お母さんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ』
と喜んでいた。
先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母親から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみるとそこにはおばあちゃんの作ったすごろくが書かれていた。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり何故かぬらりひょんとか妖怪もまじっていたり
『ばあちゃんよく作ったな』
とちょっと苦笑していた。
そして最後のあがりのページを見た。
【あがり】と達筆な字で書かれていた。
その下に、
『義弘(オレ)に友達がいっぱいできますように』
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
俺が友達と遊んでばっかいたからばあちゃんとばあちゃんの作ったすごろくできなかったね。
本当にごめんね。
そしてありがとう。