
小学生の頃
いじめられていた
石を投げられる
殴られる……
転校する時、担任が一言
「君にはお別れ会なんて
必要ないよね?」
中学生の頃
周りは小学校と同じメンバー
暴力が続くと思いきや
とことん無視される
休み時間は寝たフリ
給食は席をくっつけるが
誰も話に入れてくれない
入れない……
やることがないので
勉強を一生懸命やる
人の十倍はやっただろう
そして学年で20番の
成績をとれた
あれだけ勉強して20番……
高校生の頃
普段は酒を飲まず
とても優しかった母親が
珍しく酔っていた
抱き上げた俺に向かって
泣きながら言った
「ごめんね……
産んでごめんね……」
どんな言葉よりも辛かった
そんな俺にも初めての
友人ができた
高校2年の始業式
前の席だった奴が
話しかけてくれた
うれしかった
そいつはとても面白くて
いつもクラスの中心にいた
それでも俺と話してくれた
ほんとにうれしかった
あるとき、トイレで
用を足している(大)と
外で話し声が……
男1:「おまえさぁ、
あいつと仲良いよな、〇〇。
なんでよ?」
男2:「そうそう、お前と
性格合いそうにないのにな」
そして、友人の声
「いや、一応席近いしさ
話しかけないとまずいと
思ったのよ。ほら、
俺ってクラスの人気者じゃん
誰にでも優しくしとかないと
ま、それでも友達には
なれないけどね」
━━━……
トイレから出れなかった
父親に悩みを
打ち明けたことがあった
俺は何で生きてるんだろ?
何の為に生きてるんだろ?
……もう死にたいよ
父親は俺にそっくりな
無愛想な顔をして
「……生きてれば
良いことがあるかもしれない
少なくとも俺は
お前の母親と出会えて
お前という息子を授かって
幸せだ……
ま、あいつ不細工だけどな」
そんな父親が過労死で死んだ
会社は一切認めてくれなかった
葬式にきた数人の同僚
部下、上司は笑っていた
彼らにとっては、どうでも
いいことだったんだろう
涙は出なかった
怒りも沸かなかった
ただ呆然としていた
母親も俺と同じ顔を
していたのが印象的だった
小さな会社に入った
運送業者の事務だ
皮肉なことに父親と同じ業界
入って3か月目の上司の評価
「使えない」
みんなの前でこき下ろされた
でも、しょうがないと思ってる
俺は本当に使えない奴だから
仕事は忙しかった
40度近い熱でも
休まなかった
休めなかった……
それでもある意味
幸せだった
忙しさに、すべてを
奪われていたから
すべてを忘れることが
できたから
会社に入ってから3年
未だに使えない奴扱いの俺に
唯一笑顔を見せてくれる
娘がいた
その年に入ってきた
新人の女の子だ
「おはようございます」
の一言と、その笑顔が
俺を癒してくれた
『変われるかもしれない』
すでに人を好きになることを
諦めていた俺がそう思った
数ヵ月後
未だに笑顔を見せてくれる
彼女を夕飯に誘った
誘えた自分が誇らしく思えた
別の人間かと思った
彼女の答えは
「もちろん、行きます
どこに連れていって
くれるんですか?」
生まれて初めて
生まれて良かったと思えた
そして告白した
いろいろ考えて考えて……
何度も練習して……
それなのに
言えたのはたった一言
「す……好きなんです
付き合って……下さい」
自分でも情けなくなるくらい
しどろもどろだった
「ごめんなさい
今は付き合うとか
考えられないんです
いろいろやりたいことが
あるんです……」
彼女はそう言った
悲しかったけど
妙に納得してしまった
ある意味で
嬉しかったのかもしれない
彼女の断り方が
━━━……
数ヵ月後
彼女は寿退社をした
相手とは3年
付き合っていたらしい
結婚式には呼ばれなかった
傷心……
そんな気持ちを
抱くこともなかった
「そんなもんさ
いつものことだろ」
いつの間にか
口癖になっていた
仕事に命をかけよう
父親のように
今はそれしかない
仕事だけは俺を
必要としてくれている
やることはたくさんある
「お前、この仕事
向いてないよな?
自分でも分かるよな?
辛いだけだぞ?
まだ若いんだから……
転職でもしてみたら
どうだ?」
ある時、上司から
告げられた
俺は馬鹿だけど
上司が何を
言いたいのかは分かった
次の日、辞表を出した俺に
上司は嬉しそうに
「お疲れさん!」
同僚たちはいつものように
仕事をしていた
いつも以上に忙しそうに
その日夜遅くまで
公園で時間を潰した
家に帰った俺に
母親がいつもの笑顔で
「お疲れ様」と言った
「会社、辞めてきたよ」
と言った俺に、一言
「お疲れ様」
同じ笑顔だった
数ヵ月前
職を探していた俺が
いつものように
家に帰ると母親がいなかった
夜遅くに電話が鳴った
病院からだった
母親の声だった
いつもの優しい声で
具合が悪くなったので
医者に行ったら
入院するように言われたこと
今日はもう面会できないから
明日必要なものを持って
病院に来てほしいことなどを
告げられた
次の日、保険証やら
着替えやらを持って
病院に行った
癌だと医者から告げられた
末期の胃癌だったそうだ
もう、助からないらしい
いつものように優しい母親
目を見ることができなかった
一人で家に帰って
父親に告げた
父親の前で泣くのは
これが2回目だった
一ヶ月ほど経った日
母親がかすれた
それでも優しい声で言った
「もう助からないんでしょ?
分かってるのよ」
俺は黙ってしまった
母親はいつものように
優しい声で
「どう?仕事は
見つかりそう?」
話題を変えた
俺は我慢しきれずに
泣いてしまった
母親はずっと
俺の手をさすっていた
━━━……
数少ない親戚が
久しぶりに集まった
「あの人は本当にいい人で…」
「惜しい人を……」
どこかで聞いた台詞で
溢れていた
俺は淡々と喪主を勤めた
ここ数ヵ月、ずっと独りで
とても広く感じていた家
骨壺は思っていたよりも
軽かった……
家に帰った俺は
机の上に置いてあった
ノートを手に取った
母親の病室の机の下から
出てきたノートだ
日記だった
入院してから
1か月くらいから
死ぬ2.3週間前までの
その日記は父親との
会話で綴られていた
2.3日分の日記を読んで
泣いてしまった
書かれているのは
全部、俺のことだった
最後のページから
数日前の日記
その日記だけ、俺宛だった
〇〇、あなたにずっと謝りたいことがあったの。〇〇がいじめられていたこと、ずっと知ってたの。
でも、私は弱い人間だから、ただ優しくすることしかできなかった。学校に行こうかとも思ったけど、行けなかった。
いつも〇〇が優しい顔で「今日も楽しかった」って行ってたから。誰にも言わずに頑張っている〇〇を裏切れなかったの。
覚えてる?高校2年の頃。私は酔って、あなたに言ってしまったね。「産んでごめん」って。
本当にごめんなさい。あのときは本当に思ったの。あなたが、こんなに辛い思いをしているのは、私が産んだせいだって。
(中略)
私はあなたを産んで本当に良かった。幸せだった。
だから、あなたも幸せになってほしい。あなたなら幸せになれる。お願いだから、なって。
俺は驚いた
まさか、あそこまで
潰れていた母親が
そんな事を覚えてるとは
思ってもいなかったから
ずっとそのことで
悔やんでいたんだと思った
優しくとも少し
陰のある笑顔は多分
その後悔からきてたんだろう
号泣した
どこからこんなに
涙が溢れてくるんだろう?
死ぬことを
考えていた俺は思った
幸せになろうと……
『それでも生きて行こう』
長文でスマソ
カーチャン……
手が付けられないほどやんちゃで、生意気で言うことを聞かない
こんな俺を今まで育ててくれてほんとありがとう
俺が幼稚園だったとき親が離婚した
理由は父の暴力だった
ギャンブル漬けの父は仕事を終えて帰ってくるなり
『飯!風呂!』だった
日曜日、久しぶりに家族で出かける事になった
行き先は競馬場だった
でも俺はその競馬場に隣接する公園でカーチャンの作った弁当を
カーチャンと二人で食べグルグル回る遊戯に乗せてもらいはしゃいでいた
その途中に急に大雨が降ってきたがしばらくカーチャンは
グルグル回すのを止めなかった
二人ともびしょ濡れになって父のところに行く途中、
カーチャンは泣いてた
幼かった俺は雨に濡れたから悲しいんだろうと思い
励ましたが今思えば、めったにない家族でのお出かけに
息子を競馬場にしか連れて行かない父、
それを止めることができない自分の情けなさに涙したんだろうと思う
小学校に上がったある日
父は帰ってくるなりカーチャンと喧嘩していた
俺はおびえながら隣の部屋でジッとしていた
しばらく口論が続いたあとカーチャンの叫び声と共に
俺のいた部屋のふすまがバリバリと破れ
バターン!と倒れてきた
倒れたふすまの上にカーチャンが倒れていた
父が殴り飛ばしたのだ
次の日、カーチャンと俺は新聞配達のパートに行ってくると父に言い
九州の親戚の家に転げこんだ
その後しばらくして父とカーチャンの離婚が成立した
親戚は温かく迎え入れてくれた
生活費のないカーチャンは昼は服の販売夜は水商売で俺を養ってくれた
いとこの姉ちゃんは俺が行ったことのない動物園や遊園地に連れて行ってくれた
小学校の転校手続きも済んで学校へ行き始めると
友達もでき、父の暴力もない毎日が楽しかった
そんな中、俺が事故にあい片目が失明した
真っ先にいった病院では回復の見込みはないと言われた
カーチャンは金がないのに色んな眼科を探してきては俺を診察に連れて行った
半年ほど色んな病院を転々としたが、結局俺の片目は光を失ったままとなった
━━━……
カーチャンに休みはなかった
九州に来てからずっと働き続けていた
心も体もズタボロだったと思う
そして俺の事故……
途方に暮れたカーチャンはある夜、俺にこう言った
『二人で死のうか……?』
俺は嫌だと言って夜も眠らずに大泣きした
そんときはホントに怖かった
片目が失明したことはどうでもよかった
カーチャンと一緒に居るだけで良かった
それが無くなるのが怖かった
その晩はカーチャンも大泣きしていた
俺はいつの間にか寝ていた
起きたら学校が始まっている時間だった
カーチャンは
『今日は学校を休みなさい』
と言って、俺をデパートに連れて行った
『なんでも好きなものを買ってやるよ』
と言われた
金がないのを知っていた俺はいらないと言ったが
カーチャンは
『ダメ!好きなものを買いなさい』
と言ってくれた
俺はカーチャンと一緒にできるファミコンのソフトを買ってもらい家でカーチャンと二人で遊んだ
また楽しい日々が始まった
カーチャンは仕事が出来る人だったのか洋服の販売員として正社員となり水商売は辞めた
親戚の家から、二人でボロボロのアパートに引っ越した
これでやっと普通の暮らしができる
……そう思った矢先
また俺が事故にあった
今度は内臓の血管が切れ意識不明の重体だった
全身の血管が内臓に留まり脳の機能が停止したのだ
緊急の手術が必要と言われすぐに手術を開始した
血液が回っていない俺にはすぐに大量の輸血が必要だったらしく
その時カーチャンは泣きながら俺に輸血した
『私は死んでもいいからこの子に血を与えて下さい!』
と泣いて頼んだそうだ
そのおかげで九死に一生を得た俺は見る間に回復し2か月で退院できた
親戚に聞いたのだが手術やら入院やらの費用で借金をかかえたらしいカーチャンは一生懸命働いた
俺を養うのと、借金を返すために 自分の楽しみは一切無いように見えた
販売員はキレイじゃないといけないと言っていたが化粧品も安物を使い
服は必ずバーゲンでしか買わなかった
いつも晩飯は俺の分だけ用意されていたカーチャンは
『仕事の帰りに食べてきた』
と嘘をついた
冷凍の唐揚げが安かったから俺は『唐揚げが好き』とカーチャンに伝えた
それを覚えていたのか毎年、俺の誕生日にはケーキと唐揚げを出してくれた
中学を卒業して働くと言った俺を高校、専門学校へと進学させてくれた
そして俺は今社会人を経て独立しようとしている
カーチャン。
今でもこんなわがままな息子でごめんな
好き勝手やってんのにカーチャンの人生を俺に捧げてくれてありがとう
こんなボロアパートじゃなくて自分の家を持ちたいっていうカーチャンの夢は俺が叶えてやるからな
頑張ってデッカイ家を買おうな
老後は俺に任せとけ
カーチャンは今まで働いた金を全て俺の為だけに使ってくれたから、貯金なんて無いの知ってるよ
これからは俺がカーチャンの為に金を稼いでやるからな
好きなだけ遊んでくれよな
カーチャン、ありがとう