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泣ける話

2012/01/20 (Fri)
今から8年前あの当時、僕が20歳、彼女が19歳の時でした。
付き合って一年ぐらい経過していました。SEXは共に経験がなく
彼女の意向で結婚するまではしたくないとの事で、私は我慢するしか
なかったのです。
 そして、初めて迎えるクリスマス、彼女からのプレゼントは
横浜の夜景が見えるホテルの部屋をとってくれてました.
そんなお金よくあったなーと、思いつつウキウキ気分で
クリスマスイブを迎え、お互い初めてながらもなんとか
SEXすることができ、痛かったのか彼女は涙をながしていました。
 でも、それが最初で最後のSEXになるとは、しかも彼女の涙の
意味もその時は知る由もなかったのです。

新年を迎え1月4日にまだ一度も合ったことのない彼女の
両親に病院に呼び出されました。妊娠でもしちゃたのかなーなんて
思いながらビクビクしながら病院に行ったのを覚えてます。
お父さんから「キミが○○君か、キミには悪いことしたなー」
僕「いったいなんのことですか?」父「娘はもって3ヶ月の命だとのこと
病名は急逝白血病だ・・・」沈黙が流れ、ただ涙がこぼれるだけでした。
病室に行くとそこには無菌室のビニールシートで覆われた彼女がいました。
普通の人と変わらない健康そうな彼女が、ただ一枚のビニールで隔てられ
触れることも出来ず、ビニール越しに手のぬくもりを感じるだけでした。
 病気を治す唯一治療法として骨髄の移植しかありませんでした。
結果として両親、妹も骨髄が一致せず、あとは骨髄バンクのドナー待ちと
なりました。
 1月後半ともなると、徐々に体も衰弱していき、悪いことに
肺炎を併発してしまいました。僕も出来るだけ病院に行き、出来るだけ
一緒にいようと思い彼女を励ましました。しかし励ましてもどうにもならない
ことは知っていました。
 肺炎を伴いながらも2月を迎へ、そして運命の時は突然やってきました.
夜9時ぐらいにお父さんから電話があり、僕は病院へ急ぎました。
病室に入るとすでに、両親と妹、そして主治医と看護婦数名がいて
なにが起こってるとすぐ察しがつきました。
彼女は小さな声で僕を呼んでいて、何かを言っており、主治医が
彼女を覆っているビニールを捲り上げました。
僕はさらに近寄り、彼女の口元に耳を近ずけました。
息を吐いたような声で「今まで・あ・り・が・と・・・」
そこで、彼女の意識は無くなり、20分ぐらいして息を引きとりました。
なぜか、涙も出ることがなくただ、漠然と彼女との思い出を
振りかえる自分がそこにはいました。
くしくも、その日は2月14日のバレンタインデーで、
彼女がお母さんに預けていた手紙とチョコをいただきました。
その手紙の内容は詳しくは書きませんが、一部としてすでにイブの日に
病気にかかっていた事、女になりたかったとの事が書かれていました。
今思えば、ウキウキ気分でホテルに行った自分がはずかしい・・・
 あれから4年後僕は結婚しました。妻にはすべてを話し一緒に
涙を流してくれました。女の子も生まれ、なんと妻の提案で
彼女の名前を付けてくれました。感謝しているよ。

 毎年2月14日には家族3人でお墓参りしています

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