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泣ける話

2010/06/08 (Tue)

1996年11月の四川省の寒村

若い未婚の男性農夫が

草むらに捨てられた

女の子に気づきました

赤ちゃんを育てるのは

貧乏な彼にとって重い負担

そう考える彼は何回も

赤ちゃんを

抱き上げては下ろし

立ち去っては戻りました

最後の、彼は

命が尽きそうな赤ちゃんに

つぶやきました

「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」

と……。

独身のまま一児の

父親になった農夫は

粉ミルクを買うお金もない為

赤ちゃんはお粥で

大きく育てられました

病気がちな体は

心配の種でしたが

聡明で近所から

とてもかわいがられたのは

お父さんの救いでした

女の子は5歳になると

自ら進んで家事を

手伝うようになりました

洗濯、炊飯、草刈りと

小さな体を一生懸命に

動かして、お父さんを

手伝いました

他の子と違って

お母さんがいない少女は

お父さんと2人で

家をきり盛りしました

小学校に入ってからも

少女はお父さんを

がっかりさせたことは

ありませんでした

習った歌をお披露目したり

学校での出来事を話したりと

お父さんを楽しませました

━…そんな平和な家庭に

突然の暗雲がたれ込みました

2005年5月のある日

少女は鼻血が、なかなか

止まらない状態になりました

足にも赤い斑点が出たため

お父さんと病院に行くと

医者に告げられた病名は

『急性白血病』でした

目の前が真っ暗になりながら

お父さんは親戚と

友人の元に出向き

借りられるだけの

お金を借りました

しかし、必要な治療費は

30万元、日本円にして

400万円です

中国よりずっと裕福な日本でも

庶民にとっては

大金になるような治療費を

中国の農民が、どうにか

できるはずもありません

集めたお金は

焼け石に水でした

かわいい我が子の治療費を

集められない心労からか

日々痩せていく

お父さんを目にして

少女は懇願しました

「お父さん、私、死にたい

もともと捨てられた時に

そのまま死んでいた

のかもしれない

もういいから……

退院させて下さい」と。

お父さんは少女に背を向けて

溢れ出た涙を隠しました

長い沈黙の後

「父さんは家を売るから

大丈夫だよ」

と言いました

それを聞いて、女の子も

泣き出しました

「もう人に聞いたの

お家を売っても

1万元しかならないのでしょ

治療費は30万元ですよね」

と……。

6月18日

少女が読み書きできない

お父さんに代わって病院に

『私は娘への治療を

放棄する』

との書類を提出しました

彼女はまだ8歳でした

幼い子に辛い思いを

させてしまったことを

知ったお父さんは

病院の隅で泣き崩れました

そして娘を救うことのできない

自分を恨み、運命の

理不尽に怒りを覚えました

娘は生まれてまもなく

実の父母に捨てられた上に

貧乏な自分と1日も

豊かな生活を

経験したことがありません

8歳になっても靴下さえ

履いたことがありません

それでなくても辛い人生を

歩まなくてはいけなかったのに

さらに追い打ちをかけて

病に苦しめられるとは

退院して家に戻った少女は

入院する前と同じように

家事をし、自分で体を洗います

お父さんに、自分は勤勉で

かわいく、そして綺麗好きな

娘として記憶に残して欲しい

そう願いながら、1つだけ

お父さんに甘えました

新しい服を買ってもらい

お父さんと一緒に

写真を撮ってもらったのです

それもお父さんを思っての事

「これで、いつでも

私のことを思い出して

もらえる」と━━…

ささいな幸せな日々も

終わりが見え始めてきました

病気は心臓に及び始め

ついに彼女は学校に

行くのもままならなく

なりました

苦痛から、学校に向かう小道を

一人カバンを背負って

立ち尽くすこともありました

そんな時には、目は

涙で溢れていました

少女の死が近づいたころ

ある新聞記者が病院側から

この話を聞き、記事にしました

少女の話はたちまち

中国全土に伝わり

人々は彼女のことで悲しみ

わずか10日間に70万元の

寄付が集まりました

女の子の命はもう一度

希望の火が灯され

彼女は成都の児童病院に

入院し、治療を受け始めました

化学治療の苦痛に少女は

一言も弱音を

吐いたことがありません

骨髄に針を刺した時さえ

体一つ動かしません

他の子供も違って

少女は自分から

甘えることをしないのです

2カ月の化学治療の間に

何度も生死を

さまよいましたが

腕のよい医師の力もあって

一度は完全回復の

期待も生まれました

しかし……

やはり化学治療は

病が進行し、衰弱していた

少女の体には

無理を強いていたのです

化学治療の合併症が起き

8月20日、女の子は

昏睡状態に陥りました

朦朧とした意識の中で

彼女は余命を感じます

翌日、看病に来た新聞記者に

女の子が遺書を渡しました

3枚もの遺書は

彼女の死後の願いと

人々への感謝の言葉で

埋め尽くされています

8月22日

病魔に苦しめられていた

女の子は静かに逝きました

少女のお父さんは冷たい娘を

いつまでも抱きしめ

涙を流しました

インターネット上も

涙に溢れかえり

彼女の死のニュースには

無数の人々が

コメントを寄せました

8月26日、葬式は

小雨の中で執り行われました

少女を見送りに来た人に溢れ

斎場の外まで

人で埋まりました

━━━……

女の子の墓標の正面には

彼女の微笑んでいる

写真があります

写真の下部に

『私は生きてました。

お父さんのいい子でした。』

とあります

墓標の後ろには

女の子の生涯が

綴られてありますが

その文面の最後は

『お嬢さん、安らかに

眠りなさい。あなたがいれば

天国はさらに美しくなる。』

と誰かによって結ばれています

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