
小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してやといわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や
知り合いの家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。
あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをやつ姉貴が渡してくれた。
メモには
「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」
「いつ走るねんや。アホが」
涙で言葉はそれしかでなかった。
あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四駆
今も部屋の机の上に置いている。
昨日珍しく俺は母ちゃんを外食に誘った。
行き先は昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。
俺は味噌大盛り、母ちゃんは味噌並み盛りを頼んだ。
「昔からここ美味しいのよね」
って、柄にもなく顔にシワよせて笑ってたんだ。
ラーメンが出来上がると、俺も母ちゃんも夢中で麺をすすってた。
あんまりにも母ちゃんがニコニコしながら食べてるもんだから、俺もつられて笑っちまったよ。
しばらく経って、ラーメンを食い終わった俺はふと母ちゃんの方を見たんだ。
ラーメンの器に浮かぶチャーシューが一枚、二枚、三枚・・。
そのチャーシューを捲ると麺がまだ沢山余ってた。
母ちゃんは俺の方を申し訳なさそうに見て、
「ごめんね、母ちゃんもう年だから。ごめんね」
と繰り返してた。
「んなもんしゃーねーべ」と言うと、
俺は母ちゃんの残したラーメンをすすった。
そういやガキの頃、よく無理して大盛り頼んで、結局食べきれなくて母ちゃんに食ってもらってたっけ。
いつの間にか立場も逆転。
あんなに若かった母ちゃんの顔も今じゃシワだらけで、背丈も頭一個分違う。
そのシワの数程今まで散々迷惑掛けたんだろうなって思うと、悔しさと不甲斐なさで涙が出てくる。
母ちゃん、こんな俺を今まで育ててくれてありがとう。