
俺の4才上の兄は障害者
小児マヒで右足が不自由だだから俺が6才になるまで兄は養護施設にいた
俺が幼稚園の年長の時兄は家に戻り普通に学校に通い始めた
運動会の日母と応援に学校へ行った
兄の学年の徒競走が始まったが兄は自分の席に座り参加しなかった
当たり前の話なのだが幼い俺は兄が走らない理由がわからずなぜ走らないか母に聞いた
笑っているだけで答えてくれなかった
翌年兄と同じ小学校に入学した俺はまた運動会の日を迎えた
そしてプログラムは進行し5年生の兄の学年の徒競走が始まった
兄は見学席にはいなかったスタートラインに先生の肩につかまって立っていた
兄はその時期まだ足にギブスをしていたため歩く姿は頼りなかった
スタートの合図で一斉に走り出す5年生
兄はゆっくりとした足取りで歩き出した
いや一生懸命走っていた
俺はそんな兄の姿を見てられなかった
恥ずかしい、やめてくれ
と正直思った
でもその時グランド全体から拍手が起こった
兄の走る姿にみんなが声援を送っている
俺もみんなに合わせて拍手をした
ゴールした瞬間涙が出た
あとで聞いたのだが母が兄になぜ走らなかったのと弟が言っていたと話したと
兄は俺のために走ってくれたのかな
照れ臭くて聞いたことはないがそれは胸の中にしまっておこう
運動会の時期になるといつも思い出す
母ちゃんは俺が4つの時病気で死んだんだ。
ぼんやりと覚えてる事がひとつ。
公園でいつも遊んでた、夕方になるとみんなの母ちゃんが迎えにくるんだ。
うちの母ちゃんは入院生活が長くて、どうせ帰っても親父は仕事だし誰もいない。
暗くなってもよく公園にいたな、兄貴が部活終わって公園の前通って一緒に帰るのが日課だった。
その日も暗くなっても砂場で遊んでた。
そしたら俺を呼ぶ声が聞こえて母ちゃんが息切れしながら歩いてきた。
ママーママーって馬鹿みたいに叫んで走ったよ。
暗い中、ブランコに一緒に乗ろう、って母ちゃんが俺を膝に乗せてしばらくそうしてた。
その後何日かして病院で死んじまった。
後から親父に聞いたら、自分でも長くない事わかってたらしい。
あの時母ちゃんどんな気持ち抱えてたんだ?
どうしていつも病院にいるの?ってしつこく聞いてごめん。
辛かっただろう。
来年、俺彼女と結婚するよ。
母ちゃんの分も向こうのお袋さん大事にすっから。