泣ける話。感動する話。号泣集。 忍者ブログ

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2024/11/25 (Mon)
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泣ける話

2011/02/13 (Sun)

看護学生だった頃の話。
受け持った患者さんはずっと昔に家族と生き別れになった方で、
生活保護をうけながら1人で生活されている方でした。
面会にくる家族もなく、もう最終末期、今週一杯持つかという
状況でした。
ある日、検温に行き、何事もなく終え、部屋を出ようとすると
酸素マスクのしたで何か必死に言ってる。何回聞いてもうまく
聞き取れず、繰り返すこと10回近く。よく聞くと、「水」
と言っていて、吸い飲みから水を口に入れました。すると満足
され、目を閉じました。それを見て部屋を後にしようとすると
消えてしまいそうな声で「あぁ・・・・」と聞こえ、振り返ると
手招きしています。
また何かを必死で言っていますが、聞き取れず、「ごめんなさい、
もう一度おっしゃっていただけますか?」と言うと、酸素マスクを
外し、とぎれとぎれに、しかしその方にとって精一杯の声で
「あ・・・り・・・が・・・と・・・」
と私の手をとり、おっしゃいました。毎日悪くなっていく患者さん
をみるのが辛くて、実習に行きたくなくなってしまったり、正直
その患者さんを見るのが恐くなっていたので、そんな自分に情けなく
なり、思わず患者さんの横で泣いてしまいました。

その患者さん、翌々日の朝、私が病棟についてしばらくして
お亡くなりになりました。なくなる瞬間にもご家族の方は誰もおらず、
私と病棟スタッフが立ち会いました。

あの「ありがとう」は今まで聞いた「ありがとう」の中で、
最も重たいありがとうでした。私のほうがお礼を言いたい気持ちで
一杯です。
 

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泣ける話

2011/02/08 (Tue)
幼い頃に両親が離婚し自分はおばあちゃんの家に何年も預けられた。悲しい訳ではない。
近所の人はいつも優しく遊び相手になってくれるし友達もたくさんいた。
ただ授業参観は苦しかった。
そんなある日父が再婚し自分は父と暮らす事に。期待より不安が大きい…案の定だった。
子供が出来ると孤立する。距離をおいたのはこちらからだ。その空間にいるのがつらく
て、家族の存在が難しくて、毎日泣いた。
数年後…大好きなばあちゃんが入院した。
学校帰りにいつも寄って「病院は暇だ」と愚痴を聞いていた。
そんなある日ばあちゃんが優しい顔で「無理せんでいいよ。甘えたい時には甘えなさい。
ばあちゃんもじいちゃんもあんたの味方やけん。小さい時から強がって…我慢もしてきた
んやからばあちゃんはあんたのためならなんでもするよ。やからばあちゃんにだけは甘え
てね。」
その言葉が1番の救いだった。病室はとても静かで夕日が消える時間になっていた。
「もう遅いけん帰りな」
涙をこらえて病室を出た。自転車に乗って暗い道を家に向かってこぐ。一瞬気が緩み涙が
止まらなくなった。

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泣ける話

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