カテゴリー
最新トラックバック
カウンター
涙を流す事はストレスを発散させます。
みなさん良い涙を沢山流して下さい。
泣ける話を集めてみました。
さぁ、どうぞ。
2011/07/11 (Mon)
中学の生活、卒業式を思い出すとあの頃に戻りたいと今でも思います。
一年から友達8人くらいで悪い事ばっかりしてて正直成績は最悪でした。
部活も入ってなかったので毎日学校が終われば遊んで夜遅く家に帰る生活。そんな周りから見たら馬鹿みたいな生活が普通でした。
3年になって卒業式が近づいてきた頃もそんな時間が続いていました。
いよいよ卒業式当日。
普段着なかった標準の学ランを着て行く事にしていつもの友達みんなと待ち合わせして学校に行きました。
「今日で卒業すんだよな~」「全然実感わかねぇべ」
そんな会話をしながらそれぞれの教室に入って荷物の整理などをしてあっと言う間に卒業式が始まった。
校長の話とか色々終わって卒業証書も受け取り、次は卒業生の合唱でした。
「旅立ちの日に」
と言う歌です。
指揮者の生徒が台に上がるとその女の子はもう泣いていました。隣を見ると先生や友達も泣いていました。この歌は歌いたかったんですが泣きすぎてほとんど歌えませんでした。
今でも「旅立ちの日に」がTVなどで流れると卒業式を思い出します。
そして担任から
最後に聞いた
この言葉を思い出します。
「みんなの涙は雨となって虹をかけます。その虹は私達をいつまでも繋いでいるよ」
一年から友達8人くらいで悪い事ばっかりしてて正直成績は最悪でした。
部活も入ってなかったので毎日学校が終われば遊んで夜遅く家に帰る生活。そんな周りから見たら馬鹿みたいな生活が普通でした。
3年になって卒業式が近づいてきた頃もそんな時間が続いていました。
いよいよ卒業式当日。
普段着なかった標準の学ランを着て行く事にしていつもの友達みんなと待ち合わせして学校に行きました。
「今日で卒業すんだよな~」「全然実感わかねぇべ」
そんな会話をしながらそれぞれの教室に入って荷物の整理などをしてあっと言う間に卒業式が始まった。
校長の話とか色々終わって卒業証書も受け取り、次は卒業生の合唱でした。
「旅立ちの日に」
と言う歌です。
指揮者の生徒が台に上がるとその女の子はもう泣いていました。隣を見ると先生や友達も泣いていました。この歌は歌いたかったんですが泣きすぎてほとんど歌えませんでした。
今でも「旅立ちの日に」がTVなどで流れると卒業式を思い出します。
そして担任から
最後に聞いた
この言葉を思い出します。
「みんなの涙は雨となって虹をかけます。その虹は私達をいつまでも繋いでいるよ」
PR
泣ける話
2011/06/29 (Wed)
俺は柔道をやっていた。
そのせいもあって腰痛もちだ。
電車で15分。
ビルの5階にその鍼灸院はあった。
ばぁちゃんがよく通院するところで、俺の腰痛が良くならないから行ってみた。
針とお灸で治療してもらって、驚くほど綺麗に痛みが無くなった。
家族との会話でこのことを話すと、盛り上がり、疲れが溜まるたびに通院した。
親父の母さんが通ってたから親父は先生と結構仲良くやってた。
ある日、先生と連絡が途絶えた。
電話すると・・・
「自転車で転けて検査入院することになりました。」と言われた。
3日後、先生は鍼灸院に戻っていつも通り治療していた。
元気そうな笑顔を見て安心した。
そして、月日は流れ・・・
俺は柔道を引退した。
鍼灸院に通うことはめっきり減った。
家族は通ってるから先生のコトは小耳にも入る。
元気そうにしてるんだと思っていた。
3ヵ月後、親父が飲み会に行って帰ってきた時に家族を集合させた。
めんどくさいと思いながらもリビングに集まる。
トイレから出てきた親父は泣いてた。
10年ぶりくらいに見る泣き顔。
俺はひぃばぁちゃんが逝ったと思った。
鍼灸院の先生が死んだ。という話を聞かされた。
先生は肺ガンだった。
自転車で転けたのは嘘だった。
俺が通院しない間もちょくちょく休んでたらしい。
先生は予約を入れてる人のために抜け出してまで治療していたことを知った。
64歳で死んでしまった。
最後に話したのは2年前だ。
他人との約束のために自分を捨てた先生。自分の苦しみより他人の苦しみを優先した先生。
線香をあげに行った時に見た遺影は先生と出会ったあの日の笑顔だった。
天国で元気にしてますか。
天国では自分のために行動して下さい。
先生が残したものは受け継がれていきます。
先生は忘れられることのない存在です。
次出会った時も笑顔見せて下さい。
俺との約束です。
そのせいもあって腰痛もちだ。
電車で15分。
ビルの5階にその鍼灸院はあった。
ばぁちゃんがよく通院するところで、俺の腰痛が良くならないから行ってみた。
針とお灸で治療してもらって、驚くほど綺麗に痛みが無くなった。
家族との会話でこのことを話すと、盛り上がり、疲れが溜まるたびに通院した。
親父の母さんが通ってたから親父は先生と結構仲良くやってた。
ある日、先生と連絡が途絶えた。
電話すると・・・
「自転車で転けて検査入院することになりました。」と言われた。
3日後、先生は鍼灸院に戻っていつも通り治療していた。
元気そうな笑顔を見て安心した。
そして、月日は流れ・・・
俺は柔道を引退した。
鍼灸院に通うことはめっきり減った。
家族は通ってるから先生のコトは小耳にも入る。
元気そうにしてるんだと思っていた。
3ヵ月後、親父が飲み会に行って帰ってきた時に家族を集合させた。
めんどくさいと思いながらもリビングに集まる。
トイレから出てきた親父は泣いてた。
10年ぶりくらいに見る泣き顔。
俺はひぃばぁちゃんが逝ったと思った。
鍼灸院の先生が死んだ。という話を聞かされた。
先生は肺ガンだった。
自転車で転けたのは嘘だった。
俺が通院しない間もちょくちょく休んでたらしい。
先生は予約を入れてる人のために抜け出してまで治療していたことを知った。
64歳で死んでしまった。
最後に話したのは2年前だ。
他人との約束のために自分を捨てた先生。自分の苦しみより他人の苦しみを優先した先生。
線香をあげに行った時に見た遺影は先生と出会ったあの日の笑顔だった。
天国で元気にしてますか。
天国では自分のために行動して下さい。
先生が残したものは受け継がれていきます。
先生は忘れられることのない存在です。
次出会った時も笑顔見せて下さい。
俺との約束です。
泣ける話
カレンダー
最新記事
泣き疲れた人はこちら
リンク