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泣ける話

2014/03/16 (Sun)
東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が亡くなった宮城県石巻市立大川小は15日、市立二俣小敷地内の仮設校舎で卒業式を開いた。今年の卒業生は震災時3年。ただ一人学校に残り、唯一の卒業生となった男子児童(12)は「みんなのこと忘れない」とあいさつ。亡くなった生徒の家族も出席し、卒業証書を受け取った。

 「僕には、先生とみんなと忘れられない日々がある。本当にありがとう。みんなのこと忘れません」

 学校関係者によると、卒業する男児は、こう力強くあいさつした。今年卒業するはずだった児童の遺族らは、遺影を手にし、涙を流しながら在校生の歌う校歌を聴いたという。

 式の後には卒業証書を持って、被災した旧校舎や児童の墓に行き、式の様子を報告する姿も見られた。

 石巻市釜谷地区の北上川河口から約4キロの川沿いに位置する旧校舎は、3年前の3月11日に発生した津波にのまれた。集団避難中だった児童や教職員も多く流され、当時の全校児童108人の約7割にあたる74人が死亡、行方不明となった。

 卒業する男児の同級生は19人のうち17人が津波で死亡。残る2人もその後、転校した。この3年の間に周辺のがれきは片づけられ、復旧工事が進められる中、旧校舎だけが激しく壊れた当時の姿のまま、ポツリと残る。

 たった一人の卒業となった児童を喜ばせたのは、遺族らがつくった「卒業アルバム」。かつて、大川小でこの学年を担当した教諭たちの協力も得ながら完成させた。

 震災前年の2010年春、満開の桜の前で撮影した集合写真や校外学習時の写真など、3年間の思い出がいっぱいに詰まった100枚以上が収められた。学級通信も一緒にとじ込まれた。

 次男高橋亮太君=当時(8)=を亡くした父春男さん(54)は「1人の卒業生がみんなの分も頑張ってくれた。息子が生きていればとの思いは消えないけれど、少しほっとできた気がする」と、アルバムに収められていた写真を長く眺めていた。

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