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涙を流す事はストレスを発散させます。
みなさん良い涙を沢山流して下さい。
泣ける話を集めてみました。
さぁ、どうぞ。
2011/09/09 (Fri)
5歳の頃からピアノを習ってた。
先生はめっちゃ怖くて、
手の甲を叩かれたりは当たり前。
「練習しいひんねやったらレッスン代ムダやから、やめなさい!」
なんて、16年間で何回も何十回も言われたっけ…笑
そんな私が、高3の頃。
先生は乳ガンになった。
末期で、全摘。
手術のあとも抗がん剤の影響で、ピアノのレッスンが休みになることもしばしば。
「薬を飲み続けないと死ぬ」
って言われてた先生は、
辛いガン治療を今日までずっと続けてた。
私は、今年の4月に幼稚園で働き始めた。
だからピアノに行くこともなく、自分の仕事でいっぱいいっぱいで、すぐ隣りの先生のお家にも全然行けてなかった。
「1レッスン1000円でやったあげるから、いつでもおいでや?」
そう言ってくれてたから、お遊戯会の曲はお願いします!
って言った。
そやのに、8月の後半に先生は倒れたらしくて、救急車で運ばれた。
私は友達と旅行なんか行ってて…
お母さんに「治らんらしいわ」って聞いた。
それでも、私は「先生のことやから、また元気になって帰ってくるって!」
って言った。
その時に、メールとか、電話とか、しとけばよかった。
今日、さっき、家に電話がかかってきた。
お父さんが出てくれた。
「ピアノの先生亡くなって、いまから家に帰ってくるねんて。お前、挨拶しにいけよ。」
え?ってなった。
まだ、実感なくて、ただ、喉が異常に渇いて、無意識に手が震えてる。
会いたくない。
現実を見たくない。
もっと、話したかったのに。
いっぱい、いっぱい、いっぱい。
後悔ばっかり。
ほんまに大好きで、私にとって、いっぱい愛を与えてくれた先生。
いっぱい叱られたし、「Mはお見合い結婚やわ!」って言われたりしたけど、
結婚式に呼ぶのが当たり前と思ってた。
車の音を気にしながら、待ってるこの時間が苦しい。
吐きそう。目眩がする。
‘死’って言葉をはじめて身近に感じた。
会いたくないよ。
でも、いってきます。
先生はめっちゃ怖くて、
手の甲を叩かれたりは当たり前。
「練習しいひんねやったらレッスン代ムダやから、やめなさい!」
なんて、16年間で何回も何十回も言われたっけ…笑
そんな私が、高3の頃。
先生は乳ガンになった。
末期で、全摘。
手術のあとも抗がん剤の影響で、ピアノのレッスンが休みになることもしばしば。
「薬を飲み続けないと死ぬ」
って言われてた先生は、
辛いガン治療を今日までずっと続けてた。
私は、今年の4月に幼稚園で働き始めた。
だからピアノに行くこともなく、自分の仕事でいっぱいいっぱいで、すぐ隣りの先生のお家にも全然行けてなかった。
「1レッスン1000円でやったあげるから、いつでもおいでや?」
そう言ってくれてたから、お遊戯会の曲はお願いします!
って言った。
そやのに、8月の後半に先生は倒れたらしくて、救急車で運ばれた。
私は友達と旅行なんか行ってて…
お母さんに「治らんらしいわ」って聞いた。
それでも、私は「先生のことやから、また元気になって帰ってくるって!」
って言った。
その時に、メールとか、電話とか、しとけばよかった。
今日、さっき、家に電話がかかってきた。
お父さんが出てくれた。
「ピアノの先生亡くなって、いまから家に帰ってくるねんて。お前、挨拶しにいけよ。」
え?ってなった。
まだ、実感なくて、ただ、喉が異常に渇いて、無意識に手が震えてる。
会いたくない。
現実を見たくない。
もっと、話したかったのに。
いっぱい、いっぱい、いっぱい。
後悔ばっかり。
ほんまに大好きで、私にとって、いっぱい愛を与えてくれた先生。
いっぱい叱られたし、「Mはお見合い結婚やわ!」って言われたりしたけど、
結婚式に呼ぶのが当たり前と思ってた。
車の音を気にしながら、待ってるこの時間が苦しい。
吐きそう。目眩がする。
‘死’って言葉をはじめて身近に感じた。
会いたくないよ。
でも、いってきます。
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泣ける話
2011/09/08 (Thu)
私の家族は離婚し、私と姉を母が引き取りました。その代わりに、借金も全額持っていけと言われ、母は引き受けました。
離婚したのは私が3歳の時でした。
私達家族は、おじいちゃんとおばあちゃんの家に帰る事となりました。
おじいちゃんは普段は人にとても厳しかったけど、私にだけは優しく、私を特別に可愛がっていてくれたそうです。
母は借金のため、朝から晩まで掛け持ちで仕事をしていました。
母に会えない私は泣きじゃくり、そんな私をおじいちゃんは慰めながら昼間は2人で過ごしていました。
おじいちゃんは行事とかクリスマスとか、私の為にツリーを買って飾ったりしてくれていました。
後で母に聞いた話では、『父親が居ないからといって、○○に寂しい思いをさせたくない。父親代わりになる。』と言っていたそうです。
私はそれが当たり前だと思っていた事が悔しくてたまりませんでした。
おじいちゃんと一緒にお風呂に入り、おじいちゃんの膝の上でご飯を食べ、おじいちゃんの隣で寝て、時には怒られたけど私はおじいちゃんが大好きでした。
しかし、おじいちゃんは私が小学校4年の時に肺癌で死んでしまいました。
なんで?と、信じられなくて、でも現実は死んで冷たくなっているおじいちゃん。
あんなにいつも一緒に居たのに、おじいちゃんが死んだ時は逃げてしまいました。
おじいちゃんの死に顔が見たくなくて逃げましたが、母に『最後なんだよ』と怒られ、おじいちゃんの棺桶の所まで行きました。
やっぱり冷たかったけど、優しい顔でおじいちゃんは眠っていました。
最後に私はおじいちゃんにキスをして別れました。
おじいちゃん、私はもう二十歳になるよ。
おじいちゃんのお陰で今の私があります。
おじいちゃん、私は夢を見つけて今必死で頑張ってるよ。
おじいちゃん、一緒に生活出来て幸せだったよ。
おじいちゃん、おじいちゃんってまた呼びたいよ。
おじいちゃん、…ありがとう…。
離婚したのは私が3歳の時でした。
私達家族は、おじいちゃんとおばあちゃんの家に帰る事となりました。
おじいちゃんは普段は人にとても厳しかったけど、私にだけは優しく、私を特別に可愛がっていてくれたそうです。
母は借金のため、朝から晩まで掛け持ちで仕事をしていました。
母に会えない私は泣きじゃくり、そんな私をおじいちゃんは慰めながら昼間は2人で過ごしていました。
おじいちゃんは行事とかクリスマスとか、私の為にツリーを買って飾ったりしてくれていました。
後で母に聞いた話では、『父親が居ないからといって、○○に寂しい思いをさせたくない。父親代わりになる。』と言っていたそうです。
私はそれが当たり前だと思っていた事が悔しくてたまりませんでした。
おじいちゃんと一緒にお風呂に入り、おじいちゃんの膝の上でご飯を食べ、おじいちゃんの隣で寝て、時には怒られたけど私はおじいちゃんが大好きでした。
しかし、おじいちゃんは私が小学校4年の時に肺癌で死んでしまいました。
なんで?と、信じられなくて、でも現実は死んで冷たくなっているおじいちゃん。
あんなにいつも一緒に居たのに、おじいちゃんが死んだ時は逃げてしまいました。
おじいちゃんの死に顔が見たくなくて逃げましたが、母に『最後なんだよ』と怒られ、おじいちゃんの棺桶の所まで行きました。
やっぱり冷たかったけど、優しい顔でおじいちゃんは眠っていました。
最後に私はおじいちゃんにキスをして別れました。
おじいちゃん、私はもう二十歳になるよ。
おじいちゃんのお陰で今の私があります。
おじいちゃん、私は夢を見つけて今必死で頑張ってるよ。
おじいちゃん、一緒に生活出来て幸せだったよ。
おじいちゃん、おじいちゃんってまた呼びたいよ。
おじいちゃん、…ありがとう…。
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