カテゴリー
最新トラックバック
カウンター
涙を流す事はストレスを発散させます。
みなさん良い涙を沢山流して下さい。
泣ける話を集めてみました。
さぁ、どうぞ。
2011/10/03 (Mon)
私のお母さんは、私が小さい頃に亡くなった。
あれは・・・私が12歳の冬だった・・。お母さんは東京で離婚をした。
そして、冬に母の実家で暮らすことになった。実家は島根の東京とは大違いの田舎。
田舎に来てから村の人達に【お母さん離婚したんやってね・・・子供が可哀想だわ・・】と言われた。
私はすごくショックだった。
そう落ち込んでる時に、男の子が現れた。
それは、羽山という男の子。わたしは、まだこの時は思わなかった・・・この人に恋をするなんて・・。
家に帰りお母さんにその事を話した。だから私は、お母さんに【お母さんも頑張って!】と言ってしまった・・。
お母さんは【うん・・・。】とだけ答えた。それから私は、よく羽山と遊ぶようになった。
そして、家に帰ったら、お母さんが倒れていた。
私はなにがどうなっているかまったく分からず、おばあちゃんに聞いた。
【お母さんどうしたの!?大丈夫なの!?】っと。
お婆ちゃんは【大丈夫だよ。ちょっと疲れてただけ】っと言った。
医者にも見てもらい、私は先生に【お母さん大丈夫だよね?】と聞いた。
先生は【大丈夫だよ。】と言った。私はほっとした。だけど、先生に、【・・・お母さんに頑張れって言ったらあかんよ。】と言われた。
この一言で、私が悪いんだと思い・・。羽山の家に行った。
羽山は静かにただ頷いてくれていた。そして家を出ようとした時だった、【大丈夫。お前のせいぢゃない。俺がずっと一緒にいてやる。】と言った。
私は嬉しくて嬉しくて、涙が出た。
その時だった、お婆ちゃんの家にお母さんはいなかった。
お婆ちゃんが言うには、さっき少し散歩してくると言って家を出ていったらしい。
私はお母さんを待った。だけどお母さんが戻ってはこなく、次の日の朝に、山頂で亡くなって見つかった。
私は、お父さんもお母さんもいなくなって・・・もうどうしようもなかった。
それから私は、1週間ぐらい部屋からも出なく、ずっと布団の中で泣いていた。
でも・・その心配をしてくれたのも羽山だった。毎日毎日家の来てくれて、すごく嬉しかった。
そして私は、久しぶりに外に出て、羽山の家に行った。やっぱり、こんなに好きな人でも、自分のお母さんにはかなわないんだなと、私は思った。
あれは・・・私が12歳の冬だった・・。お母さんは東京で離婚をした。
そして、冬に母の実家で暮らすことになった。実家は島根の東京とは大違いの田舎。
田舎に来てから村の人達に【お母さん離婚したんやってね・・・子供が可哀想だわ・・】と言われた。
私はすごくショックだった。
そう落ち込んでる時に、男の子が現れた。
それは、羽山という男の子。わたしは、まだこの時は思わなかった・・・この人に恋をするなんて・・。
家に帰りお母さんにその事を話した。だから私は、お母さんに【お母さんも頑張って!】と言ってしまった・・。
お母さんは【うん・・・。】とだけ答えた。それから私は、よく羽山と遊ぶようになった。
そして、家に帰ったら、お母さんが倒れていた。
私はなにがどうなっているかまったく分からず、おばあちゃんに聞いた。
【お母さんどうしたの!?大丈夫なの!?】っと。
お婆ちゃんは【大丈夫だよ。ちょっと疲れてただけ】っと言った。
医者にも見てもらい、私は先生に【お母さん大丈夫だよね?】と聞いた。
先生は【大丈夫だよ。】と言った。私はほっとした。だけど、先生に、【・・・お母さんに頑張れって言ったらあかんよ。】と言われた。
この一言で、私が悪いんだと思い・・。羽山の家に行った。
羽山は静かにただ頷いてくれていた。そして家を出ようとした時だった、【大丈夫。お前のせいぢゃない。俺がずっと一緒にいてやる。】と言った。
私は嬉しくて嬉しくて、涙が出た。
その時だった、お婆ちゃんの家にお母さんはいなかった。
お婆ちゃんが言うには、さっき少し散歩してくると言って家を出ていったらしい。
私はお母さんを待った。だけどお母さんが戻ってはこなく、次の日の朝に、山頂で亡くなって見つかった。
私は、お父さんもお母さんもいなくなって・・・もうどうしようもなかった。
それから私は、1週間ぐらい部屋からも出なく、ずっと布団の中で泣いていた。
でも・・その心配をしてくれたのも羽山だった。毎日毎日家の来てくれて、すごく嬉しかった。
そして私は、久しぶりに外に出て、羽山の家に行った。やっぱり、こんなに好きな人でも、自分のお母さんにはかなわないんだなと、私は思った。
PR
泣ける話
2011/09/30 (Fri)
俺のいとこも「社会に出たら」病だったんだわ。
社会人二年生なんだけど、親戚で集まるたびに
いっつも中学生や高校生の子に言うんだわ。お決まりのフレーズ
「社会に出たら厳しいんだぞ」「社会じゃ嫌なことたくさんあるんだ」。
「たまに死にたくなることもあるぞ。絶対厳しい目に会う。100%辛い目に会うんだ」と。
うん毎回言うね。社会人の俺としては「別にそこまで大変なわけじゃ、、、」状態。
親戚の人たちにも当然社会人はいるわけで、俺と同じ様子で視線を送ってた。
言われる子達もリアクションの取り方に困ってんのが一目瞭然なんだわ。
であんまり度が過ぎるんで、ある時うちの親父がキレちまったわけだ。
そんな事言い聞かせて脅してどうするんだ、大概にしろ、とこういうわけだ。
それに同意した親戚の何人かが熱くなってる親父を落ち着かせながらも
やはり同様のことを諭すように言い聞かせるのだわな。いとこに。
子達に対しても「こいつが言うほど恐ろしい所じゃないから」
「○○君(いとこ)の話はちょっと大げさな所があるな」とフォロー入れつつ。
で、いとこ。社会が、、社会が、、、と涙目でヒックヒック言いながらつぶやき始めた。
また社会は厳しい談義か?と思ったんだが、泣きながら
「社会が、、、嫌だ、、、社会から逃げたい、、、山に篭って、、生活したい、、」
ときたもんだ。
この時わかったよ。悟ったっつうか。
こいつ今まで自分に言い聞かせてたんだわ。
嫌な事が多すぎて言わずにいられなかったんだわな。社会に出たら厳しいと。
皆何も言えなかった。さっきまでキレてた親父も押し黙ってうつむいてた。
いとこは極端な例で、こいつ以外にも「社会に出たら厳しい」が口癖の奴が
たま~にいるんだが、この件以来なんとなくわかった。
皆、厳しい社会に押しつぶされそうな自分に言い聞かせてるんだわな。
学生を諭すという形を借りて、必死で自分に言い聞かせてるんだわな。
最近じゃ会わなくなったけど今何してんのかな、いとこ。
社会人二年生なんだけど、親戚で集まるたびに
いっつも中学生や高校生の子に言うんだわ。お決まりのフレーズ
「社会に出たら厳しいんだぞ」「社会じゃ嫌なことたくさんあるんだ」。
「たまに死にたくなることもあるぞ。絶対厳しい目に会う。100%辛い目に会うんだ」と。
うん毎回言うね。社会人の俺としては「別にそこまで大変なわけじゃ、、、」状態。
親戚の人たちにも当然社会人はいるわけで、俺と同じ様子で視線を送ってた。
言われる子達もリアクションの取り方に困ってんのが一目瞭然なんだわ。
であんまり度が過ぎるんで、ある時うちの親父がキレちまったわけだ。
そんな事言い聞かせて脅してどうするんだ、大概にしろ、とこういうわけだ。
それに同意した親戚の何人かが熱くなってる親父を落ち着かせながらも
やはり同様のことを諭すように言い聞かせるのだわな。いとこに。
子達に対しても「こいつが言うほど恐ろしい所じゃないから」
「○○君(いとこ)の話はちょっと大げさな所があるな」とフォロー入れつつ。
で、いとこ。社会が、、社会が、、、と涙目でヒックヒック言いながらつぶやき始めた。
また社会は厳しい談義か?と思ったんだが、泣きながら
「社会が、、、嫌だ、、、社会から逃げたい、、、山に篭って、、生活したい、、」
ときたもんだ。
この時わかったよ。悟ったっつうか。
こいつ今まで自分に言い聞かせてたんだわ。
嫌な事が多すぎて言わずにいられなかったんだわな。社会に出たら厳しいと。
皆何も言えなかった。さっきまでキレてた親父も押し黙ってうつむいてた。
いとこは極端な例で、こいつ以外にも「社会に出たら厳しい」が口癖の奴が
たま~にいるんだが、この件以来なんとなくわかった。
皆、厳しい社会に押しつぶされそうな自分に言い聞かせてるんだわな。
学生を諭すという形を借りて、必死で自分に言い聞かせてるんだわな。
最近じゃ会わなくなったけど今何してんのかな、いとこ。
泣ける話
カレンダー
最新記事
泣き疲れた人はこちら
リンク