オレのおじいちゃんは戦争末期、南方にいた。
国名は忘れたけど、とにかくジャングルのようなところで
衛生状態が最悪だったらしい。
当然マラリアだのコレラだのが蔓延する。
おじいちゃんの部隊も例外ではなく、バタバタと人が倒れて
いったそうだ。
ただ、その頃には治療薬も開発されていて、それを飲んで命
を永らえた人も多かったらしい。治療班に手渡されていた薬
で何人かの人が助かったそうな。
しばらくして、おじいちゃんが期せずして高熱にうなされる
ようになった。病気に感染したのだ。
一方でおじいちゃんの部下の1人にも同じような症状が襲った。
二人とも薬を飲めば助かる程度のものであったらしいが、
なんとその部隊には残余薬が一つしかなかった。
部下は「あなたが飲んでください、あなたがこの部隊の指揮官ですから」
と搾り出すような声で言ったらしい。立派な部下を持ったおじいちゃんは
幸せな人間だったとおこがましいけどオレは思う。
しかしおじいちゃんはたった一言こう言ったらしい。
「貴様飲め!」
おじいちゃんはその後間もなくして死んでしまった。
この話はつい最近死んだおばあちゃんから何度も聞いた。
薬を飲んで生き残って帰国した兵隊さんはその後おばあちゃんを
なにかにつけ助けてくれたらしい。オレも一度だけお会いしたこと
がある。まっすぐで立派な男だった。おじいちゃんも素晴らしい命
を救ったものだ。
おばあちゃんの口癖は
「貴様…って、いい言葉ね…」
だった。おじいちゃんの死後、もう何十年も経つのに
毎日毎日仏壇のおじいちゃんに話し掛けていた。
そして眠ったまま死んでいった。
明治の人間はすごい。オレはいつもそう思う。
私は小さい時から中耳炎で、しょっちゅう耳が痛くなって治療のために耳鼻科に行っていました。
小学校に入ると私が耳鼻科に行くために学校を休んだり早退したりすると
クラスの子に「病気でもないのに、授業を受けたくないから仮病を使っているんだ」と
散々からかわれて辛い思いをしていました。
うちの母は片耳が難聴で聴こえないんですが、おばあちゃん(母方の)がそれを気にしていつも
「ごめんね、お母さんの耳が悪いから○○ちゃんの耳も悪くなってしまって」と私に謝るのです。
小学3年生のある日、おばあちゃんが急にうちに遊びに来て「これから巣鴨に行こう」と言い出しました。
当時は子供すぎて巣鴨に何があるなんて知らなくて、ただおばあちゃんと出かけるのが嬉しくてついて行きました。
巣鴨に着くとおばあちゃんは長い行列に並んで
「ここはとげぬき地蔵様があるんだよ、お地蔵様の自分の体の悪いところを洗うと
身代わりになって治してくれるの」と言いました。
私たちの順番になるとおばあちゃんはシワシワになった手でタワシを持ってお地蔵様の左耳を
ゴシゴシと擦りながら「○○ちゃんの耳がよくなりますように」と一生懸命洗ってくれました。
帰りにおばあちゃんは「あんみつ食べて行こうか」と言って一緒にあんみつを食べました。
おばあちゃんは6年ほど前に亡くなったんですが、おかげで今では中耳炎も良くなり、
ここ5年は中耳炎で耳鼻科に行ったことが一度もないくらいになりました。
おばあちゃん、中耳炎良くなってきたよありがとう。