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涙を流す事はストレスを発散させます。
みなさん良い涙を沢山流して下さい。
泣ける話を集めてみました。
さぁ、どうぞ。
2012/09/20 (Thu)
嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、こんな手紙が届いた。
どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。
以下全文
Dear 未来の○○
元気ですか?
大好きな仕事はうまくいってますか?
きっと○○だもん、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。
嬉しいぞ。
早速だけど、私はもう長くないみたい。
仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。
薬もだいぶ変わったしね。
だから、○○に最後の手紙を書くことにしました。
もう今頃新しいかわいい奥さんが出来てるかな?笑
いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。
○○は誰かを幸せにできる才能を持ってる。
その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。
○○が幸せになるところ、きちんと見守ってるからね。
私は大丈夫。
向こうでイケメン見つけて恋するもんね!笑
そして○○は沢山子供を作ってステキな家庭を作るの。
○○の子供だもん、きっとかわいいんだろうなあ~。
私生まれ変われたら○○の子供になっちゃおうかな。笑
生まれ変わりの順番待ちがあったら割り込んじゃうもんね!
おばさん発想だな。
でもね、一つだけお願いがあります。
どうか私のことを忘れないで。
どんなに幸せになっても、一年に何回かでいいから思い出して。
私はもうお父さんもお母さんもいないから、、○○が忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。
それだけが怖いんだ。
何回かというのはね、付き合い始めた日、幕張のレストランに海。
一緒に行った夏の北海道、あの時くれたネックレスはずっと今でもつけてるよ。
お棺にいれないでね、○○が持ってて。
○○が初めて試合でレギュラーになった日、関係ないとは思いきや、実は私が初めてお弁当を作った日だったのだ。笑
卵焼き辛くて悪かったな。
結婚記念日は○○酔いつぶれてたし、いいや。笑
そして私の命日。
多分○○のことを思いながら幸せに眠るんだろな。
この四つが私の思い出ランキングトップです!
だから年四回でいいから思い出してね。
お願いね。
○○が思い出してくれるとき、きっと私はその瞬間だけこの世界に生き返れるんだ。
最後までわがままだね。笑
ごめんなさい。
未来に向けて書くつもりが、なんかよくわかんなくなっちゃった。
だって○○の未来は輝いてて、眩しくて、全然見えませんよ!
さて、レントゲンに呼ばれたのでこれで終わりにします。
時間かけて書くと長くなりそうなので、思いつきで書いたこの手紙で一発終了。
○○、今までありがとう。
悲しい思いをしてしまったらごめんなさい。
あなたと過ごした私の人生、あなたと作った私の人生。
幸せ過ぎてお腹いっぱいです。
もう悔いはないよ。
○○の幸せをずっとずっと見守ってます。
未来の○○の笑顔を思いながら
△△より
ps.ご飯はちゃんと食べるんだよ。
最後まで注文ばっかだな全く。
オレはまだ一人だよ。
でも幸せだ この手紙をみて改めて実感した。
オレ頑張るから、ずっと見ていてくれよ。
ありがとう。
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泣ける話
2012/09/17 (Mon)
これは俺が3~4年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビルを1人でブラブラ見に行ったんだ。
直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。そしたら、ちょっと前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の肩を後ろから叩いて、「よう!ロベルト、久しぶりだな!」って声かけてくるんだよ。俺も、不意打ちだった
もんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに
「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。
そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか!」って益々大きな声で言いだしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思ったから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」って言ったら、爺さんは笑いながら「そんな事は知ってるわい!」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)
爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、わしは今年で92になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね?」
俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」
爺「よろしい。わしは第1次、第2次と2つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで飲みにいったりしたもんだ。お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだ
よ。そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ!」
俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか?」
爺、にっこり笑って「わからんかね?ロベルト(ROBERTO)というのは頭文字を合わせたものさ。
3国の首都 ローマ(ROme)・ベルリン (BERlin)・東京(TOkyo)の。だから、君を見かけた時、
日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ!」
俺「へぇ~。なんか歴史を感じる話っすね~」
爺、急に笑顔から一変して渋い表情で「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された方はいるかな?」
俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし… あ!親戚の爺さんでまだ1人生きてますよ!」
爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をしたと思っている。と伝えてくれ。」と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。
俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ?あの小うるさかった俺の祖父でさえも、イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」
爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。わしの海軍部隊では政治的に戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。拳銃で自殺をしたものだっている!でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に
悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。特に、日本の方々が最後まで意志を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ5体が引き裂かれるような思いがしただろう。だから、日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。
そして、イタリア人は、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。
しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。
だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」
そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような
小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。そして、急な展開に戸惑った俺は、「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」とだけ言って、挨拶をしてその場を去り、また炎天下の中に戻っていった。今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた
瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうかなんて、今となってはわからない。ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと思った。
爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくらいぶりだろう。皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」
俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるんじゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」
後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん(元海軍)を訪ね、その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた1週間後に老衰で他界した。世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の1週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話しかけてたと言う。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビルを1人でブラブラ見に行ったんだ。
直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。そしたら、ちょっと前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の肩を後ろから叩いて、「よう!ロベルト、久しぶりだな!」って声かけてくるんだよ。俺も、不意打ちだった
もんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに
「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。
そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか!」って益々大きな声で言いだしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思ったから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」って言ったら、爺さんは笑いながら「そんな事は知ってるわい!」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)
爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、わしは今年で92になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね?」
俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」
爺「よろしい。わしは第1次、第2次と2つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで飲みにいったりしたもんだ。お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだ
よ。そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ!」
俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか?」
爺、にっこり笑って「わからんかね?ロベルト(ROBERTO)というのは頭文字を合わせたものさ。
3国の首都 ローマ(ROme)・ベルリン (BERlin)・東京(TOkyo)の。だから、君を見かけた時、
日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ!」
俺「へぇ~。なんか歴史を感じる話っすね~」
爺、急に笑顔から一変して渋い表情で「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された方はいるかな?」
俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし… あ!親戚の爺さんでまだ1人生きてますよ!」
爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をしたと思っている。と伝えてくれ。」と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。
俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ?あの小うるさかった俺の祖父でさえも、イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」
爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。わしの海軍部隊では政治的に戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。拳銃で自殺をしたものだっている!でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に
悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。特に、日本の方々が最後まで意志を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ5体が引き裂かれるような思いがしただろう。だから、日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。
そして、イタリア人は、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。
しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。
だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」
そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような
小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。そして、急な展開に戸惑った俺は、「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」とだけ言って、挨拶をしてその場を去り、また炎天下の中に戻っていった。今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた
瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうかなんて、今となってはわからない。ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと思った。
爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくらいぶりだろう。皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」
俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるんじゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」
後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん(元海軍)を訪ね、その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた1週間後に老衰で他界した。世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の1週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話しかけてたと言う。
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