泣ける話。感動する話。号泣集。 忍者ブログ

カテゴリー
最新トラックバック
カウンター
最新コメント
[01/24 あ]
[12/07 ゆゆ]
[05/08 あんちゃん]
バーコード
涙を流す事はストレスを発散させます。 みなさん良い涙を沢山流して下さい。 泣ける話を集めてみました。 さぁ、どうぞ。
かぁちゃん頑張っています。
[20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30]

2024/11/22 (Fri)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

泣ける話

2012/10/26 (Fri)

 昭和二十年三月十日、東京が米軍による大空襲に遭い、
 たった二時間のうちに十万人が亡くなりました。
 
 早いものであれから六十年。
 当時十一歳だった私も七十歳になり、
 これ以上齢を重ねては、戦火の恐ろしさと
 平和の大切さを後世に伝えることができなくなる。
 
 私は戦火を逃れるため、昭和十九年に
 静岡県沼津市のおばの家に一人で縁故疎開しました。
 
 出発当日、私は大好きなおばさんの家に行けると
 わくわくしていましたが、母は涙をぼろぼろこぼしながら、
 お守りを首からかけてくれると、
 
 
 「かよちゃんは明るくて元気で強い子だから大丈夫よ」
 
 
 と何度も、何度も言うのです。

 母があまりにも悲しい顔をしているので、
 だんだんと心細くなってきました。
 
 
 「母ちゃん、友達ができなかったらどうしよう」
 
 
 と呟くと、母は私の心細さを取り払ってくれるかのように、
 
 
 「大丈夫よ。あなたは人に好かれるから大丈夫よ。
  明るくて元気で強い子だから大丈夫よ」
 
  
 と何度も何度も繰り返しました。

 それが最後の言葉となりました。

 空襲後、生き残ったのは疎開していた私と、
 すぐ上の兄・喜三郎だけでした。
 兄は家族五人が亡くなったことを伝えるため
 沼津までやってきましたが、
 きっと焼け爛れた死体の山をまたいで、
 汽車にぶら下がるようにして東京からきてくれたのでしょう。
 
 その夜、私は兄にしがみ付きながら、いつまでも泣いていました。

 戦中戦後の動乱で誰もが生きていくのに精一杯の時代、
 二人もおばに世話になるのは悪いと、
 兄はあてもなく東京へ戻り、
 私は引き続き沼津のおばの家に残りました。
 
 そのあとは東京・中野のおばのもとへ身を寄せました。

 どうにか置いてもらおうと一所懸命お手伝いをしましたが、
 ある冬の日、瓶に水を張っていないという理由で、
 おばにものすごく叱られました。
 
 それまでは
 「いい子でいなくちゃ、好かれる子でいなくちゃ」と
 思っていましたが、その日はひどく悲しくなって
 家を飛び出しました。

 向かったのは、昔家族で住んでいた本所の家の焼け跡でした。
 焼け残った石段に腰を下ろし、ヒラヒラと雪が舞い散る中、
 目を閉じると家族の皆と過ごした平和な日々が蘇ってきました。

「どうしてみんな私を一人にしたの? 
 もうこのままでいいや……」

 その時、一人の復員兵が通りかかりました。
 私の前で立ち止まり、鞄の中から一本のさつまいもを
 取り出したかと思うと、半分に割って差し出しました。

「姉ちゃん、これ食べな。頑張らなくちゃダメだよ!」

 物が食べられない時代、見ず知らずの人が食糧を
 分けてくれることなど考えられないことです。
 私は夢中になって頬張りましたが、
 ふとお礼を言うのを忘れたと気づき、振り返りましたが、
 もうそこには誰もいませんでした。  

いまにして思うと、あれは神様だったのかもしれません。
 神は私に「生きよ」と告げたのだと思っています。

 さつまいもを食べて元気になった私は、
 走っておばの家に戻りましたが、
 しばらくするとその家にもいられなくなりました。
 伝手で転々とする中で、つらいことはたくさんありました。

 でも拗ねたり、挫けたり、横道に逸れるようなことは
 しませんでした。
 
 それは両親に愛された記憶があるからです。
 
 悪さをしたら父ちゃんが悲しむ、こんなことで泣いたら、
 別れ際に「かよちゃんは強い子よ」と言ってくれた
 母ちゃんが悲しむ。
 
 それが生きる支えとなり、いつも笑顔で生きてきました。

 平和な時代に生きるいまの人たちには、
 子どもをいっぱいいっぱい愛してやってほしいと思います。
 親に心底愛された子どもは、
 苦境に遭っても絶対に乗り越えていけます。
 
 そしてもう二度と戦争によって
 私のような悲しい思いを、
 地球上のすべての子どもたちにさせられません。
 
 それが戦後六十年の節目に願うことであり、
 私のすべての活動の原動力になっています。

拍手[71回]

PR
泣ける話

2012/10/21 (Sun)
この前妻に先立たれたんですよ、この前と言っても随分前だけどね。
で、生まれて初めて一人で乳児を育て始めたわけですわ。
正直最初は乳児を育てるのって簡単だと思ってたのよ。
みんな普通に育児してるからさ。
 
あのね、俺が間違ってた。
あれは男一人でやるもんじゃない。
女性だね、お母さんが愛情込めてやるものだよ。
最初に寝かせつける時さ、めちゃめちゃびびってお腹そろ~ってさすって頭そろ~っと撫でたのよ。10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって手を止めちゃったのさ。
そしたら娘がさ
 
「もっと撫でて!」
 
って感じでぐずるの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だからお腹トントンしたのさ。えぇ、そりゃもうトントンしましたとも。全てを忘れてトントンしたよ。
ちょっと強すぎるんじゃないか、とか実はそろそろミルクやる時間だとかオムツも確かめないといけない事とか色々忘れてね。
だって娘が撫でろって言ったからね。
 
そしたらエライ事になった。
もうすごい号泣。すごい喧しさ。耳元でシンバル鳴らされたくらい。空港の隣に住んでる人でもきっと驚く。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事見てんの。ホントごめんなさい。
 
正直「男なら女房の忘れ形見くらい一人で育てるぜ!」なんて見栄張らないで素直に娘と一緒に妻の後を追えばよかったと思ったよ。
 
心の底から一人で育てると決めた事を後悔して今後の事を不安に思ったね。
でも会社行って同僚に「赤ん坊の世話なんて簡単だな!専業主婦なんてただの暇人だよ。」とか言っちゃってんの。
 
ホント俺ってダメ人間。
誰か助けて下さい。
 
 
この前娘の尻に赤い染み見つけたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の初潮に気付いたわけですわ。正直最初はそんなの簡単だと思ってたのよ。みんな普通に気付いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは男親が処理するもんじゃない。女性だね、母親でなくてもいいからとにかく女性がやるものだよ。
最初に娘に知らせる時さ、めちゃめちゃ怯んで娘の肩そろ~って叩いて「あのさ」って静かに囁いたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか言いにくくなって下向いちゃったのさ。
そしたら娘が俺の視線に気付いてさ「もっと早く言ってよ!」とか怒るの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから謝って生理用品買いに行ったのさ。えぇ、そりゃもう買いましたとも。全てを忘れて買ったよ。
俺は結構ごつい外見してる事とかレジのお姉さんが結構若くて綺麗な事とか夜用と昼用がある事とか色々忘れてね。
だって娘が家で恥ずかしがりながら俺を待ってたからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい血まみれのゴミ箱。すごい血まみれ。俺の方が貧血になるくらい。赤ん坊一人の血の量くらいあるかもしれなかった。
それで横見たら娘がすごい勢いで俺の事睨んでるの。ホント頼むから紙に包んで捨てなさい。
正直「男ならなんでも対応できるぜ!」なんて見栄張らないで素直に職場の若い子とかに聞いておけばよかったと思ったよ。
心の底から一人でパニクった事を後悔したね。
でも会社出て友達に話した時に「娘もこれで一人前だな!欲情すんなよ」とか言われて顔で笑って腹で密かにむかついてんの。
ホント俺ってダメ人間。
これから思春期迎える娘、俺一人で平気なのかなぁ。
 
 
この前娘が大学受けたんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘の合格発表を迎えたわけですわ。正直最初は合格発表見に行った娘の電話待つのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に待ってるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは普通の親が待つもんじゃない。裏口入学者の親だね、合格確実な親だけが安心して待てるものだよ。
最初に受話器上げる時さ、めちゃめちゃびびって受話器そろ~って握ってそのままそろ~っと耳に当てたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか怖くなって戻そうとしちゃったのさ。
そしたら電話の向こうで娘がさ「ちょっとお父さん聞いて!」とか言ってんの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから「どうだった?」って聞いたのさ。えぇ、そりゃもう聞きましたとも。全てを忘れて聞いたよ。
高1の時から決めてた第一志望だとか強気な娘は滑り止め受けてないとか…受かってたら彼女は一人暮らしを始めると決まってる事とか色々忘れてね。
だって娘が聞けって言ったからね。
そしたらエライ事になった。
もうすごい合格。すごい「サクラサク」。満開過ぎて涙出てくるくらい。遠山の金さんなら肌色が見えなくなってる。
それで横見たら鏡の中の俺がすごい勢いで涙こらえてんの。ホントごめんなさい。
正直「いい父親なら娘との距離は適度にとるべきだぜ!」なんて見栄張らないで素直にもっともっといろんな話をしときゃよかったと思ったよ。
心の底から娘との会話が減っていた日頃の自分を恨んだね。
でも妻の実家言って義理の両親に「これで一段落ですよ!これからは少しは一人の人生楽しもうかな。」とか言っちゃってんの。
ホント俺ってダメ人間。
娘よ、たまには帰ってきて下さい。
 
 
この前娘の結婚式に出たんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて娘と腕を組んでバージンロードを歩いたわけですわ。正直最初はバージンロード歩くのなんて簡単だと思ってたのよ。みんな普通に歩いてるからさ。
あのね、俺が間違ってた。あれは父親が歩くとこじゃない。新郎だね、どうせ連れてっちゃうなら最初から新郎が腕組んで歩けばいいんだよ。
最初に歩き始める時さ、めちゃめちゃびびって右足そろ~って踏み出して左足そろ~っと揃えたのよ。
10秒くらいかけてさ。でなんか不安になって娘の方見たのさ。
そしたら娘がさ「お父さんしっかりして!ロボットみたいだよ」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが俺よ。
だから堂々と歩いたのさ。えぇ、そりゃもう歩きましたとも。全てを忘れて歩いたよ。
娘のドレス姿が眩しすぎるとか今からでも回り右してやりたいとか時折励ますように娘が組んでる手に力を入れてくるとか色々忘れてね。
だって娘がしっかりしろって言ったからね。
そんで新郎のとこに辿り着いたらエライ事になった。
もうすごいキス。すごい突然頬にキス。しかも「私からの最後っ屁じゃ!」って囁きながら。何だよ、それ。俺を泣かせたいのか、笑わせたいのか、泣いてやるよ。
それで横見たら新郎がすごい神妙な顔で俺の事見てんの。ホント幸せにしないとぶっ殺す。
正直「男なら余裕持って娘を送り出すぜ!」なんて見栄張らないで素直に新郎を10発くらいぶん殴りゃよかったと思ったよ。
心の底から笑顔で送り出した事を後悔したね。
でも式場出て娘に「お前の世話も大変だったよ!これからしばらくはお母さんとの思い出に浸るぜ。」とか言っちゃってんの。
「お母さん」でいてくれた時間が短すぎて名前で呼んだ事の方が多かったな、翠。
僕はいつも君と一緒にあの子を育ててきたつもりだ。
もう何年かしたら胸を張って君に会いに行きます。誉めて下さい。

拍手[111回]

泣ける話

カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
泣き疲れた人はこちら
忍者ブログ[PR]