「このポッケすごいねんで!」
そう言って幼稚園の
制服のポッケを
パンパン叩いてた
友達Aの息子
ポケットには
ハンカチ、ティッシュ、お菓子
小指の先サイズのドラえもん
母親とのプリクラ
それにムシキングカード等々
その子にとっての
宝物が詰まっていた
「ポッケ叩いたら
欲しいもんなんでも
出てくるねん(`ヘ´)」
それ聞いて少し
イジワル言ってみた
「じゃあミニカー
出してみて」
前から欲しがっていて
持っていない事は知っていた
その子はムキになって
「あるもん!!フン!フン!」
とポケットをパンパン叩いて
宝物を散らかしていった
私はその子の隙を見て
あらかじめ買っておいた
ミニカーをそっと
ポケットに忍ばせた
「フン!…あっ!!…フフ~ン」
得意気に出てきた
ミニカーを私に
見せびらかしてたが
物陰で(´・ω・`)??
みたいな顔してた
かなり萌えた
ある日Aが死んだ
脳溢血だった
職場で突然倒れ
そのまま逝ってしまった
友達はいわゆる
シングルマザーで
家族は60過ぎたご両親だけ
私達も悲しみに暮れる
間もほとんど無く
葬儀の準備の手伝い
関係者への連絡などで
忙殺されていた
その間、彼はずっと
ジュウレンジャーの絵本を
何度も何度も読んでいた
通夜が始まり
しばらく経った頃
彼が居ないことに気付いた
私と手の空いてた人が
付近を探した
しばらく探していると
友達Bから着信
小さな公園で見つけたとの事
急いで駆けつけると
Bは公園の入り口で
どういうワケか
うずくまって泣いていた
フッ…と公園の中を見ると
彼がいた
暗い街灯の下
「……お母さん、お母さん」
と泣きながら必死に
ポケットを叩いていた
周りには宝物が
散らばっていた
恥ずかしながら20代女
その子を慰める前に
しばらくの間
泣き崩れてしまいました
声を殺して抱きしめる事しか
出来なかった
いつの間にか集まってた
みんなも泣いていた
あの日は全てが
悲しくて仕方なかった
あれから二年
もうポケットは
叩く事は無くなった
代わりに
「ぐらふぃっくあーてぃすと
になんねん(`ヘ´)」
が口癖になった
最近、ずっと絵を
描いてるのはソレだったのか
どうやらBが
「お母さんの夢やったんよ」
と教えたらしい
その話を聞いた瞬間
また泣いてしまった
子供の言葉で、何だか
こっちの方が
救われた気がしたんです
少し画家と混同している
みたいだけど、頑張れ!!
君には5人の
お母さんがついてるぞ!
その日までちゃんと
Aの分まで全力で
見守ってやるからね
私が小さな小さな
建築関係のメーカーの
担当営業をしていた頃
私の担当には小さな
個人商店がありました
先代の社長を亡くし
若くして後を継いだ社長には
二人の男の子がいました
経営は苦しく
競合ひしめく地域で
経験の無さも手伝い
大手にお客さんを
持っていかれ
見てるのも悲惨な状況の中
必死に頑張る社長の
姿がありました
苦しい経営の割りには
支払いは良く
無理も言わず若い私にも
優しくしてくれました
「一緒に成長しような」
といつだって前向きな
社長が私も大好きで
いつもそこにお邪魔しては
商売の話やガンダムの話に
花を咲かせていました
私の会社には
特別な得意先に配る
野球券(東京ドーム)があり
先代の社長が健全で
売り上げが好調だった時には
たまに配ったりも
していたのですが
やはり、担当営業に配分される
年間シート割り当ては
昨今の不況の影響で
大幅に減り、貴重な
営業ツールとなっていました
ある日
「〇〇君……
頼みがあるんだけど」
と私に切り出してきて
「来月隼人の誕生日
なんだけどな……
野球が好きなんだよ
この売り上げじゃ
貰えないと
思うんだけど、頼む!」
と珍しくわがままを
言ってくる社長の
言葉に断りきれず
野球券をあげました
しかし社長はその月
事故で亡くなり
野球券は仏壇に
飾られることになった
棺おけの隣に
楽しみにしていた野球券が
そっと置かれているのを見た時
涙が止まらなかった
数ヶ月後、亡くなった
社長の会社は潰れた
それから8年経った後
私は分不相応にも
営業3課長の任を
受けました
そして二次面接の
面接官をしていた時
懐かしい声が聞こえました
「〇〇大学の〇〇隼人です」
私には彼が誰か
すぐに分かりました
あまりに声があの社長に
そっくりで……
私は彼に一つだけ
質問をしました
「将来の夢はなんですか?」
そしたら面接で
言わなくていいことを堂々と
「独立して会社を
興すことです!
父を超えたいんです!」
私は隣にいた
人事部長に言いました
「僕が預かります……」
彼は今年度
営業戦略拡販商品の
トップセールスに
選ばれる事になりました
これから先、会社を辞めて
独立したいといった時は
もう止める気はない