小学生の頃、俺は引っ越しばっかで全く友達がいなかった。
ってか、友達なんか必要ないって思ってた。
ホントは寂しくて仕方なかったけど、できあがった輪の中に入ることが怖くていつも一人で遊んでた。
たまに誘われても「どーせすぐ別れる」とか思ってたら愛想笑いして断るのが上手くなった。
で、小6くらいの時またいつものように引っ越しした。
だけど、そのときの引っ越しはいつもとはちょっと違ってもう一度同じ学校に戻ることになった。
小学校2年の時の学校に。
予想はしてた。
居る時間も短かったし俺のことを覚えてる奴はほとんどいなかった。
俺だって相手のことを忘れていた。思い出す気もなかった。いつものように一人で居た。
この年になると表面上つるむ事はし出してたけど大体は一人だった。
で、またその学校で過ごすようになって1週間くらいたった頃、一人の野郎が俺に封筒を渡してきた。
「おかえり。」とか言って。
何言ってんだ?こいつ。とか思って封筒の中身見たら、小2の遠足ん時の写真だった。
集合写真じゃなくて、俺と、そいつで撮ってる写真。
たまたま近くにいたから、気まぐれで、思いつきで撮った写真だろう。
撮ったことなんか全然覚えてなかった。
俺のアルバムはほとんど集合写真。
写真を撮らないから。
撮る相手も撮ってくれる相手もいないから。
家族は写真じゃなくてビデオばっか撮ってたし、ホントどのページも集合写真。
だからアルバムは嫌いだった。
「なんか捨てるに捨てれなくてさ。渡せて良かったよ。おかえり。」
そう言われた時、俺はヤセ我慢した。
無愛想に「捨てても良かったのに。お前アホやろ。」って言った。
ありがとうも言わなかった。
家帰った後、ずっとその写真眺めてた。
「もっと笑えよなぁ、俺。無愛想な顔しやがって。」とか言ってニヤニヤしてた。
・・・嬉しくて泣いていた。
まこちん、あん時はホンマありがとう。
今でも感謝してる。
私が小学校4年生くらいのときから
父は東京に単身赴任していました
ゴールンデンウィークや夏休みなど
大きい休みには必ず帰ってきました
その時には私はいつも空港まで
迎えに行っていました
父が東京に行くときも空港に
送りに行きました
その時が一番楽しかったとも
言えた時間でした
でも、私はわがままばかり
言ってばかりで、父に親孝行
していませんでした
そして2年前に空港に送りに
行って父に
「いってらっしゃい」
「行ってきます」と
言葉を交わしました
それが最後の会話でした
最後の会話を交わした
数ヵ月後
学校から帰ったら祖父と
母がいませんでした
祖母に聞いたところ
東京に行ったと言いました
その時にはなにも疑問には
思いませんでした
晩御飯を食べ終わって姉と
テレビを見ていたとき
祖母が急に
「お父さんが亡くなった」
と言いました
私は(何を言ってるの?)
と思いました
けど、祖母から話を聞くと
涙が溢れました
姉はすぐ状況を理解したみたいで
私が理解したときには
涙が枯れていました
私はその後毎晩声を押し殺して
泣きました
お葬式の時父の弟が
「あにきー!!!!なんで死んじまったんだよ!!!」
と泣き叫びました
私はその時悲しすぎて涙がでませんでした
そして、火葬の時にやっと
涙が出てきました
私は母の胸で大泣きしました
今でも父の笑顔を思い出すだびに
涙が出てきます
もっと、親孝行をしとけば
よかったです