泣ける話。感動する話。号泣集。 忍者ブログ

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2024/11/26 (Tue)
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泣ける話

2010/10/21 (Thu)
祖母の葬儀の後、祖母の弟のMおじさんから聞いた話です。 太平洋戦争中、Mおじさんは
ニュージーランドあたりで零戦の整備士として軍役に勤めていて、海上で日本の無条件降
伏を知ったらしいです。その後、Mおじさんの所属する部隊は拘束され、アメリカ軍の指
示により、オーストラリアの兵士によって、オーストラリアの軍艦で日本まで護送される
事になったらしいです。長い船上生活で、Mおじさんとオーストラリア兵との間にも、友
情が芽生えたらしいです。そんな中、オーストラリアの兵士は、Mおじさんにこのような
話をしたらしいです。「日本は小さい国だけれども、零戦や戦艦などを作り上げる日本人
は、高い技術力を持っている優秀な民族だ。今は、戦争に負けて本土は焼けの原でボロボ
ロの状態だけれども、必ず日本人はまた、世界の表舞台に出てくる時代がやってくる。
我々の使命は、そんな優秀な日本人を一人でも多く無事に日本に帰してやる事だ」

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泣ける話

2010/10/19 (Tue)

おととしの、秋の話しです。
私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、
祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。
その時、母の家に遊びに行く約束をしました。

その日は、私が料理を作りました。
ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。
2人で食事をして、お酒を飲んで、
はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、
だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。
母はたんたんと話します。
私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、
聞きました。

帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、
言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。
母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。

帰り、駅からタクシーに乗りました。
今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。
運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と
聞かはりました。私は、
「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、
泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。
すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。
「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。

家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。

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泣ける話

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