泣ける話。感動する話。号泣集。 忍者ブログ

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2024/11/25 (Mon)
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泣ける話

2010/11/12 (Fri)
初投稿になります。 私は小さい頃から家族が大好きでした。一人っ子の私は家族からも親戚からも可愛がられていました。 私が5歳の時、妹が生まれました。一人っ子だった私はとても嬉しくてしかたありませんでした。 親戚も両親も、妹をかなり可愛がっていました。私の相手をする人も、それどころか私がいることさえ、分からなくなるほど、妹を可愛がっていました。 私はいつも一人ぼっちで、寂しく遊んでいました。 そのせいか、私はいつの間に家族が嫌いになっていました。 私が高校2年生になっても、妹への愛着は相変わらずで、家にいたくない私は友達と毎日毎日遊んでいました。 ある日めずらしく真っ直ぐ家に帰った私。頭痛と生理痛がひどかったのです。 玄関からは香ばしい香りが漂ってきました。2階の自分の部屋に行こうと、階段を上がり始めたとき「おねぇちゃん」と妹の声がしました。 「は?」ただでさえ妹のことが好きでないのに、頭痛と生理痛でイライラしていた私。 「あのね…クッキー作ったんだけど…」 差し出されたクッキーを私は見つめた。 「食べてみて?」 妹は遠慮気味におずおずと差し出した。 「いらない。お腹空いてないから。」冷たく私は答えた。「で…でもっ」 しつこい妹にイライラしていた私はそのクッキーを床に投げつけました。 「あ!」「しつこい。」 2階へ上がり自分の部屋に飛び込みました。
その週の終わりの雨の日、私のケイタイに電話が入りました。「いまどこ!?」それは母からの電話。「は?」「今すぐ○○病院に来て!」それは妹が運ばれたと言う話でした。私はその時友達と遊んでいて、友達が帰ったら行けばいいと思い、2時間くらい遊んでいました。 妹の病院に着き、病室のドアを開けると… 泣き崩れ今にも倒れそうな母。母を支えている父。 そして…ベットに横たわり白い布を被った妹。 「…は?」 意味が分からなくて、恐る恐る白い布を剥がすと、青白い妹。 鼓動が大きく響いて座り込みました。 家に帰り、自分の部屋に入ると机の上にピンクのラッピングされた袋。 そしてカード。 そこには『お誕生日おめでとう!』と書かれていました。 リボンをゆっくり解くと、そこにはクッキーが入っていました。 それを見た瞬間涙が零れ落ちました。 一つ口の中に入れました。 「しょっぱい…味分かりずらいっての。」 鼻が詰まってわかりずらかったけど、しょっぱいのは涙のせいだってわかりました。 一回も祝ってあげなかった妹の誕生日。 なのに妹は忘れず、何回も何回も失敗しながら作ったクッキーの味は一生忘れることは無いでしょう。 私の誕生日が妹の命日。 ごめん…ごめんね。 どうしてあの時傷だらけになりながらも、一生懸命自転車を練習する君の背中を支えてあげなかったんだろう。 どうしてあの時いじめられて泣きじゃくる君を抱き寄せて「おねぇちゃんはいつも味方だからね」って言ってあげなかったんだろう。 どうして死の瞬間に手を握って「いっつもそばにいるからね」って言ってあげなかったんだろう。 ねぇ美優、こんなおねぇちゃんでごめんね。 なんにもしてあげなくてごめんね。 でもおねぇちゃんは、ずっとずっとそばにいるから。 背中を支えるから。いじめっ子をこらしめるから。手を握るから。 だから… いつまでも おねぇちゃんの妹で いてくれるかな?

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泣ける話

2010/11/09 (Tue)
私がまだ幼い頃から両親の喧嘩が絶えなくなりました父親は毎日ギャンブルに金を使い、生活費にも手を出し必死に母親が止めても暴力を振るいました そんな生活がずっと続きごはんもまともに食べられず私たちは生きる気力を完全になくしましたある日母親がドライブへ行こうと言い出し父親が居ないすきに車へのりこみとくに行く当てもなく車を走らせました私たちを乗せた車はどんどん山の中へと向かっていきましたすると母親はいきなりこう言いました「このまま2人で死のうか」車はものすごいスピードで目の前のカーブの先の崖へと向かいます私は覚悟を決めましたそして固く目を閉じましたきぃぃぃぃぃぃーーッッッ 落ちる寸前で車は急ブレーキで止まりました母親が泣き出しました「ごめんねッッごめんねッッ」母親はそれしか言いません何故だか私も泣き出しました死ぬのはやはり怖いものです 結局私たちは死なずに今生きています父親とは離婚し今では仲良く二人で生活しています今思えばあのとき母親はどんな気持ちでアクセルをふんだのでしょうわからないけどとにかくあの時ブレーキをかけてよかったと思っていますどんなに辛くても生きていれば良い事はあるものですね

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