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涙を流す事はストレスを発散させます。
みなさん良い涙を沢山流して下さい。
泣ける話を集めてみました。
さぁ、どうぞ。
2011/06/02 (Thu)
僕は高校を卒業し救急箱のセールスをする。
好きで選んだ仕事ではなく不況で就職難と言う事もあり・・・
僕は人見知りもあり、なかなか仕事に馴染めず、ノルマをこなせずいた。
そんな頃、新規契約を集めに出て一人のお婆ちゃんと知り合う。
お婆ちゃんは別契約があるにも関わらず、僕と契約してくれた。
僕は、これを期にお婆ちゃんと月に一度会う。
と言っても、お婆ちゃんは一人暮らし薬など減る事もなく・・・ただの茶のみ友達となる。
毎月10日に行くと、お婆さんは満面の笑みで僕を迎えてくれる。
お婆さんは薬箱そっちのけで、饅頭に羊羹・・・
お昼時なら、ご飯までご馳走してくれた。
お婆さんは僕を孫にダブらせ・・・
僕は、お婆さんを自分の祖母のように感じ・・・
そんな関係も三年を過ぎ・・・お婆ちゃんが日増しに老いてゆく
僕は、そんなお婆さんを安じ家族に連絡するよう進めた・・・
しかし何ヶ月過ぎても一人暮らしは続いてた。
僕は出来る限りで、月1を月3に訪れる。
お婆ちゃん「今度は20日に来るね・・・」
僕が20日に来て見ると、お婆ちゃんはコタツに座椅子・・・、ほんのりと温かみを残し・・・
ちょっと遅かった・・・?待ちきれなかった・・・?もっと一緒に話したかったな。
茶のみ契約も今日で終わりだね。
おばあちゃん。
好きで選んだ仕事ではなく不況で就職難と言う事もあり・・・
僕は人見知りもあり、なかなか仕事に馴染めず、ノルマをこなせずいた。
そんな頃、新規契約を集めに出て一人のお婆ちゃんと知り合う。
お婆ちゃんは別契約があるにも関わらず、僕と契約してくれた。
僕は、これを期にお婆ちゃんと月に一度会う。
と言っても、お婆ちゃんは一人暮らし薬など減る事もなく・・・ただの茶のみ友達となる。
毎月10日に行くと、お婆さんは満面の笑みで僕を迎えてくれる。
お婆さんは薬箱そっちのけで、饅頭に羊羹・・・
お昼時なら、ご飯までご馳走してくれた。
お婆さんは僕を孫にダブらせ・・・
僕は、お婆さんを自分の祖母のように感じ・・・
そんな関係も三年を過ぎ・・・お婆ちゃんが日増しに老いてゆく
僕は、そんなお婆さんを安じ家族に連絡するよう進めた・・・
しかし何ヶ月過ぎても一人暮らしは続いてた。
僕は出来る限りで、月1を月3に訪れる。
お婆ちゃん「今度は20日に来るね・・・」
僕が20日に来て見ると、お婆ちゃんはコタツに座椅子・・・、ほんのりと温かみを残し・・・
ちょっと遅かった・・・?待ちきれなかった・・・?もっと一緒に話したかったな。
茶のみ契約も今日で終わりだね。
おばあちゃん。
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泣ける話
2011/06/01 (Wed)
私はたくさんの借金を抱えたまま妊娠した。
妊娠がわかった時は40歳だった。
赤ちゃんが産まれる時は41歳になる。
しかも結婚もしていなかった。
普通は妊娠がわかると「おめでとう」と言われることが、親や姉妹からは「どうするの?やっていけるの?」と言われた。
誰にも「おめでとう」と言われない妊娠だった。
それでも40歳での妊娠は、私にとっては最初で最後の母親になるチャンスだった。
どうしても産みたい・・・でも、産まれてくる赤ちゃんは幸せになれるだろうかと思う不安もいっばいだった。
今の生活が精一杯だった私は、月に一度行かなければいけない検診にもちゃんと行けず、2ヶ月に一回しか行かなかった。
保険がきかないからだった。
それでもお腹の中の赤ちゃんはすくすくと元気に育っていてくれた。
職場のみんなは、快く私を臨月まで働かせてくれた。
重いものなど持たないでいいようにと、いつも気遣ってくれていた。
それがとてもうれしかった。
仕事を休むと借金も払えないし、生活もしていけないからだった。
予定日より3日遅れて赤ちゃんは無事産まれてきてくれた。
元気な男の子だった。
出産後、私は4週間でまた仕事に復帰した。
首もすわらないうちから、保育所に預けた。
母乳をあげる機会もすぐに終わってしまった。
それでも仕事をしなければ、生活していけなかった。
出産したからといって、借金の支払いも待ってくれるわけではなかった。
知り合いから子どもの服のおさがりをもらったりして、ほとんど新品を着せてあげる事もできなかった。
日の半分は保育所で過ごし、家では一緒に夕食を食べ、お風呂に入り、寝るの生活の繰り返しの日々だった。
それでも、すくすくと元気に育ってくれた。
あれから、もうすぐ4年・・・まだ借金は残っている。
でも、息子も毎日元気に保育所に通っている。
保育所を嫌がらず、給食も何でも食べ、着るものに何の文句も言わない。
お友達が大好きなキャラクターの服を着てても「欲しい」とも言わない。
ほとんど、おもちゃも買ってあげられない。
本当に息子には悪いことをしていると思う。
それでも、何も言わないでいてくれる。
まだ何もわからない年齢かもしれないが、本当にいい子に育ってくれていると思う。
そんなあなたを産んで今、本当によかったと心から思っている。
借金が早くなくなり、息子のために少しずつ貯金ができる、そんな生活を夢見てがんばっていこうと思っている。
産まれてきてくれてありがとう。
こんなお母さんで、本当にごめんね。
妊娠がわかった時は40歳だった。
赤ちゃんが産まれる時は41歳になる。
しかも結婚もしていなかった。
普通は妊娠がわかると「おめでとう」と言われることが、親や姉妹からは「どうするの?やっていけるの?」と言われた。
誰にも「おめでとう」と言われない妊娠だった。
それでも40歳での妊娠は、私にとっては最初で最後の母親になるチャンスだった。
どうしても産みたい・・・でも、産まれてくる赤ちゃんは幸せになれるだろうかと思う不安もいっばいだった。
今の生活が精一杯だった私は、月に一度行かなければいけない検診にもちゃんと行けず、2ヶ月に一回しか行かなかった。
保険がきかないからだった。
それでもお腹の中の赤ちゃんはすくすくと元気に育っていてくれた。
職場のみんなは、快く私を臨月まで働かせてくれた。
重いものなど持たないでいいようにと、いつも気遣ってくれていた。
それがとてもうれしかった。
仕事を休むと借金も払えないし、生活もしていけないからだった。
予定日より3日遅れて赤ちゃんは無事産まれてきてくれた。
元気な男の子だった。
出産後、私は4週間でまた仕事に復帰した。
首もすわらないうちから、保育所に預けた。
母乳をあげる機会もすぐに終わってしまった。
それでも仕事をしなければ、生活していけなかった。
出産したからといって、借金の支払いも待ってくれるわけではなかった。
知り合いから子どもの服のおさがりをもらったりして、ほとんど新品を着せてあげる事もできなかった。
日の半分は保育所で過ごし、家では一緒に夕食を食べ、お風呂に入り、寝るの生活の繰り返しの日々だった。
それでも、すくすくと元気に育ってくれた。
あれから、もうすぐ4年・・・まだ借金は残っている。
でも、息子も毎日元気に保育所に通っている。
保育所を嫌がらず、給食も何でも食べ、着るものに何の文句も言わない。
お友達が大好きなキャラクターの服を着てても「欲しい」とも言わない。
ほとんど、おもちゃも買ってあげられない。
本当に息子には悪いことをしていると思う。
それでも、何も言わないでいてくれる。
まだ何もわからない年齢かもしれないが、本当にいい子に育ってくれていると思う。
そんなあなたを産んで今、本当によかったと心から思っている。
借金が早くなくなり、息子のために少しずつ貯金ができる、そんな生活を夢見てがんばっていこうと思っている。
産まれてきてくれてありがとう。
こんなお母さんで、本当にごめんね。
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